11月1日「
邪馬台国は福岡・筑豊の田川地域にあった」と福岡県田川市など地元8市町村の首長が揃って宣言し誕生したのが、田川市など筑豊地域の地域共通のシンボル「
卑弥呼連邦」だ。
その裏付けとしてあげられているのが、福岡県赤村にある「全長約450メートルの前方後円墳に見える地形」である。これを参加した自治体では大阪府堺市の大山古墳(仁徳陵)に匹敵する(大山古墳は約525メートル)規模の古墳だとして「卑弥呼の墓ではないか」と
しているのである。
これを伝える
『西日本新聞』2020年11月2日付朝刊の記事はこう記す。
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この古墳説に地元の文化財担当者は厳しい見方を示すが、「細かいことは言わないで。古代史はロマンですから」と関係者。
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実際「卑弥呼の墓だ」と盛り上がる人はいるものの、その証拠は古墳とされる地形から須恵器が拾われていること。須恵器は古墳時代から広く使われた土器で、かつて集落や製造する窯があったような場所では、現代でも土の上に当たり前に転がっているもの。つまり、須恵器が発見されただけで単なる山を古墳、それも超巨大古墳であると主張しているように見える。
地元の文化財関係者に訊ねたところ、言葉を選びながらも「それほどの規模の古墳があれば、周辺地域に関連する古墳や遺跡があるはずなのですが、そうしたものはありません」というのであった……。
「単なる山」という批判に当の卑弥呼連邦は、どう答えるのか。連絡先になっている田川広域観光協会は、こう答えた。
「西日本新聞の記事にもありましたが――厳しいです。地元にそう主張するグループがありまして……発掘調査の予定? まったくありませんよ」
なにか言いたげだがいえない。そんな印象が残った。
学問的には裏付けのない、怪しげどころか「偽史」にも値しないインチキな歴史が、あたかも事実のように喧伝される。それが幾度も繰り返されるのは、誰もが属する
コミュニティのしがらみと忖度から逃れられないからである。
昨年、諏訪大社公認ガイドを名乗る
谷澤晴一という人物のことを知った。長野県茅野市の行政関連団体である、ちの観光まちづくり推進機構のサイトでは、この人物の実施するツアーを紹介しているのだが、これは地元からも批判を浴びた。
諏訪大社に公認ガイドなる制度は存在しないのである。そのガイドする内容も歴史的事実を無視した持論が目立つため(移築された奉安殿の菊の紋を材料に、天皇家と諏訪信仰の関係を語ったという)、地元の研究者が諏訪大社に問い合わせをしたが「言及することは避けたい」とのことだったという。狭い地域の中でなにか波風を立てたいという意図だったようだ。この人物、研究者からの批判におそれをなしたのか「公認」を外したものの、いまだにガイドを行っているという。
前述の上田市の担当者の言葉に見られるように、自治体や地元の観光団体が観光客誘致や町おこしのために眉唾な「偽史」を盛り上げていることに「嘘だ」と真っ向から反対することは、狭い地域の中ではなかなか難しい。ことにコロナ禍で瀕死の観光地を抱える地域では、より声を挙げることは困難だろう。ただ、嘘も繰り返せば真実になる。
日本歴史教科書が書き換えを余儀なくされた旧石器捏造事件。これは一人の功名心にかられた人物の仕業のようにみられるが、実際は違う。疑問を持つ研究者が声を挙げることが出来なかったのは、旧石器研究の権威であった芹沢長介とその弟子で文化庁で文化財行政に権威を振るっていた岡村道雄が擁護を続けていたからである。芹沢はあまり語らずに死んだが、岡村は異動となった後に『
旧石器遺跡捏造事件』(山川出版社 2010年)を上梓し責任回避と自己弁護に励んだ。
インチキ歴史にハマる人や、糧を得るためにインチキでも人が呼べるなら、地域が盛り上がるならと必死な人々を嗤い、ただ単に叩く気にはなれない。ただ、こうした小さな「歴史改ざん」を、まっとうな歴史研究者が「取るに足らぬこと」と傍観したり関わりを回避し続けるとしたら、その結果はいま日本が侵されている「歴史修正主義」の病は加速していくのではないだろうか。
<取材・文・撮影/昼間たかし>