―― 菅政権に抗議する方法としては、言論で批判したり、デモを行うことも考えられます。なぜハンストという手法をとったのですか。
菅野:確かに私は著述家ですから、言論で対抗しろと思われるかもしれません。「ペンは剣より強し」という格言もあります。しかし、剣による直接的な暴力にペンで対抗することは、端的に言って不可能です。相手が中国共産党のようなテロ行為に乗り出してきているときに、それに対して通常の言論活動で立ち向かうというわけにはいきません。
相手が肉体言語でくるというなら、こちらがとるべき手段も肉体言語です。しかし、肉体言語が必然的に帯びる暴力性を他者に向けることは慎まなければなりません。そこで、肉体言語の矛先を自分自身に向けるハンストを採用したのです。
私は今回、相手が菅義偉という程度が低く教養のない人間だということを踏まえ、「
知的なハンスト」を目指しています。路上の座り込み活動でよく見られるような「アウトドア感」をできるだけ排除し、本を読み、原稿を書きながらハンストしています。「路上に書斎を移す」がコンセプトです。
ハンストは死ぬためにやるわけではありません。ハンストの目的は、下手をすると死ぬかもしれない過程を見せつけることで、相手の意思決定に影響を与えることです。死んだらむしろ失敗です。そこで、ガンジーのひそみにならい、水分や塩分をとり、私の知的活動に必要不可欠なニコチンとカフェインも摂取しています。睡眠もとっています。
「早く死んでほしいのに死なない」と相手をイラつかせるのが良いハンストです。
最近、一部の学者や言論人たちが、反ナチス運動で知られるマルティン・ニーメラーの言葉を引用し、菅政権を批判しています。ニーメラーの言葉とは、「ナチスが共産主義者や社会民主主義者、労働組合を弾圧したとき、自分は不安に駆られたが、声をあげなかった。その結果、ナチスが私を攻撃したとき、私のために声をあげてくれる者は誰一人として残っていなかった」というものです。
ニーメラーが後悔しているのは、
他人が弾圧されているときに自分は関係ないと思って戦わなかったことです。私はニーメラーに言及している人たちに言いたい。
あなたたちが考える「戦い」とは、単にニーメラーを引用することだけなのかと。そうではないでしょう。言論人や学者は菅政権と戦うことができる立場にいますし、その戦いを有効に展開できる立ち位置にいるはずです。私たちには菅政権と正面から戦う責任があるのです。このことは強調しておきたいと思います。
(10月7日、聞き手・構成 中村友哉)
※菅野氏のハンストは本稿掲載時点で2週間を超えている。気力は十分で水分とミネラルは補給しているものの、急激に低下した気温で菅野氏の体力も削られつつある。
●菅野氏の
ツイキャス
<提供元/
月刊日本11月号>