江田直人さん(仮名)
多くの男性は、漠然と「
モテたい」と思っているだろう。より多くの女性に好かれ、できれば好きに女を抱きたい、と。
なぜ、人は「モテたい」と願うのか。より多くの女性と身体を重ねることは、真に幸せの一つの形と言えるのだろうか。その生き証人となる人物がいる。
「非モテだった自分」への反発で、出会い系に目覚めた青春時代
社会人になってからマッチングアプリに目覚め、現在では延べ500人以上とデートをし、経験人数も300人を越えているという江田直人さん(仮名・27歳)。彼はなぜ、それほどまでに「女遊び」に時間を投下することになったのだろうか。
「高校までは静岡の田舎で過ごしました。最初は、閉塞感の強い田舎への反発のようなものだったと思います。田舎でモテヒエラルキーの頂点に立っていたのは、スポーツのできる筋肉バカか、ヤンキー気質のチンピラタイプです。地味で真面目だった僕は高校生になっても全くモテず、性への強い関心から、17歳の時mixiで出会った初対面の女性で童貞を捨てました。
ただただ、ヤりたくて仕方なかったんです。その後もSNSで同年代の女性を呼び出してはセックスしたけれど、普通の女のコは僕になんて振り向いてくれなくて、寂しそうなバンギャばかり狙って声をかけました。高校生ですでに性に対する倫理感は狂ってしまったけれど、非モテマインドはズルズル引きずっていました。それが今僕が、経験人数を増やしすぎてしまっていることの原体験だったと思います」
田舎は都会と比べると遊び場も少なく、東京の高校生よりも田舎の高校生の方が経験が早いというのはよく聞く話だ。しかしそこまでこじらせてしまうものだろうか。
「家庭環境の複雑さのようなものもあったかもしれません。家は厳しく、大学も田舎の国公立を目指しました。華やかな都会に憧れを持ちつつも、それを許されない環境への反発もあったと思います。結局田舎の大学でも非モテをこじらせ、SNSもや出会い系アプリを使って、経験人数を増やし続けました。
あの頃は、いわゆる
ミソジニーに近かったと思います。自分がモテないことの腹いせみたいに、性行為を主体的に行うことで女性を見下していました。自分の魅力に誰も気づいてくれないことが苦しかった」
SNSで出会う、性格も知らない初対面の女性を抱いても、本当の意味で誰かに愛されることにはならない。早い段階でそれに気づきながらも、性欲と女性嫌悪に身を任せてしまっていたという。
「社会人になり、やっと東京で働くことができるようになった時、僕の性欲はさらに爆発しました。田舎の頃は車で最高5~6時間もかけてセックスしに行っていたのが、東京では電車で数十分で済む。その頃にはマッチングアプリも徐々に浸透してきていて『あんなに大変だったセックスが簡単にできる!』と一気に経験人数を増やしていってしまいました」