『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の世界が持ち続ける「平和への志向性」

vegポスター

映像の美しさ、ストーリーの切なさで男女問わず人気の作品で、劇場もさまざまな人が観にきていた。写真は、ある劇場入り口に掲示されたポスター

 2018年の1月から4月にかけて放送されたテレビアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の続編であるアニメ映画 『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が、9月18日から公開されている。  『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、暁佳奈の同名小説を原作とし、20世紀前半程度の文明レベルを持つ地球とよく似た異世界で、「自動手記人形(ドール)」と呼ばれる一風変わった手紙の代筆業に従事する少女を主人公とした物語だ。

代弁者としてのドール

 現実世界のタイピストが女性の職業として現れたように、ドールもまた女性が就く職業とされている。しかしドールは単なる口述筆記のための文字打ち業ではない。ときには依頼人と相談しながら文案を考え、ときには文をつくる能力がない依頼人のために、いくつかのキーワードを聞くだけで初めから終わりまで手紙の内容を創作する。つまりドールとは、いわば代弁業なのだ。  ところで他者を代弁する者は、自分自身の主体があってはならない。この職業がその社会的地位の高さとは裏腹に、ドールという非人格的名称で呼ばれているのもそれが理由だ。「よきドールとは、人が話している言葉の中から、伝えたい本当の心を掬い上げるものです。」しかし、他人が何者かの心情を代弁するということは、本来暴力的な行為だ。それがこの物語において肯定的な営みとして描かれているのは、ドールが依頼人に対する機能に徹して代弁を行い、またその依頼人も、自分自身の心情を手紙の相手に対して代弁者の言葉を通してでも伝えたいという意志が明らかになるからだ。  さらに手紙の代筆は、その依頼人の再帰的な主体化も促す。死にゆく兵士はドールを通して故郷の家族と想い人に手紙を書くことで、自分自身の体験や感情を解釈して表現する。そのときに自己を省察するための対話相手としてドール(ヴァイオレット)はその役割を果たすのだ。

語る言葉を見つけたヴァイオレット

 こうしたドールの機能を踏まえて主人公ヴァイオレットの人物像を見てみると、まず彼女自身が、主体としての言葉を持たない存在だったことが目につく。ヴァイオレットは、戦争中は少年兵として生き、ギルベルトにかけられた愛情を理解することができなかった。しかしそれは、理解するすべを知らなかったにすぎない。彼女は常に冷静にみえるが、けして感情がないわけではない。「君は自分のしてきたことで、自分の身体に火がついて、燃え上がっていることをまだ知らない」とTVアニメ第一話ではやくもホッジンズに指摘されているように、ヴァイオレットは自身の感情を語る言葉を持っていなかったのだ。  ヴァイオレットは、「『愛してる』を知りたい」という理由でドールになることを志願した。しかしタイピングや語彙の豊富さについては優れた能力を示すが、肝心の手紙が書けない。他者の体験や心情を解釈する能力がなかったからだ。だが、ドールの仕事を通して、依頼人の体験や心情を解釈に文章へと落とし込んでいくうちに、依頼人の体験や心情を通して、自分自身の中に語る言葉が生まれていく。  ヴァイオレットが少年兵だったとき、彼女はその戦闘能力に敵からも恐れられる存在だった。彼女にとって敵の殺戮は単なる戦闘行為であり、国を守るという大義のために必要な行為だと伝えられていた。だがそれは国家の建前にすぎない。TVシリーズ終盤で彼女が死にゆく兵士のために手紙を書いたとき、はじめてヴァイオレットは自分が行なってきた行為は、血の通った人間の未来の可能性を奪うことだったと解釈するようになる。そして二度と誰かを死なせることはしないと誓う。  とはいえ、ヴァイオレットの良心がここで生まれたというわけではない。彼女はもともと良心的な人間だったが、戦争について解釈する言葉を国家の建前以外には持っていなかったのだ。他者の体験の代弁を通して、自分自身の良心が自分自身の体験を解釈することができるようになった。そのことによって、ヴァイオレットは自分の経験を語れるようになったのだ。  『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』シリーズは、様々な人々の群像劇である。しかし、そのエピソードのほとんどには、戦争の体験が影を落としている。戦争が終わって間もない社会という舞台設定と、上記のようなドールの仕事、ヴァイオレットの言語獲得という主題が構造的に関連して物語を構成しているのが本作の特徴であり、制作者がどれほど強く意識しているかは分からないが、その連関は自ずと反戦メッセージとして読み解くことができる。以下では、戦間期ドイツの歴史研究で用いられている経験史的アプローチの助けを借りて、そのことを示す。
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「経験の媒介者」としてのドールが導く平和
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