傑作映画『ある画家の数奇な運命』で描かれる、ナチスでも奪えなかったアートの力とは
『ある画家の数奇な運命』が公開されている。
本作は『善き人のためのソナタ』(2006)でアカデミー賞外国語映画賞を受賞したフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督の最新作。現代美術界の巨匠ゲルハルト・リヒターをモデルとした、ドイツの激動の時代に生きる芸術家の半生を描くドラマとなっている。
結論から先に申し上げておこう。本作は映画としての圧倒的な面白さと豊かさに満ちた、そして「アートとは何か」という根源的な問いに明確な答えを打ち出した、類稀な傑作だった。その具体的な魅力について記していこう。
ナチス政権下のドイツ。少年クルトは叔母の影響から芸術に親しむ日々を送っていた。だが、叔母は精神のバランスを崩し、強制入院の後に安楽死政策によって命を奪われてしまう。終戦後、大人になったクルトは東ドイツの美術学校に進学し、そこで出会った美しい女性のエリーと恋におちる。そのエリーの父親カールこそが、元ナチスの高官であり叔母を死へと追いやった張本人なのだが、誰もその残酷な運命に気づかないでいた。
物語の背景に戦争と世界情勢の大きな変動があり、そして1人の男の半生を子ども時代から追うという物語は『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1995)をほうふつとさせる。叔母がナチスの安楽死政策により殺された、という物語の始まりはとても重いものだが、それから先は悩み多き青年の生き様を、ユーモアも込めながら物語っていく。
中には「恋人とベッドを共にしていると両親が帰ってきたため、全裸のまま窓から逃げようとする」という、かなりコメディに寄せたシーンさえもある。恋を成就させるまでのラブロマンスとしても、挫折を経験しながら芸術家という夢を追い続けるサクセスストーリーとしても楽しめるだろう。
その万人が楽しめる物語の中には、毒の強いサスペンスもある。それが、意中の女性の父親が、叔母の仇(かたき)であり、それに誰も気づいていないことだ。元ナチス高官であったこの父親は威圧的かつ独善的な性格をしており、娘に近寄ろうとする主人公に不信感を募らせていく。
「登場人物が知らないことを観客が知っている」というのは、映画において最もハラハラする“仕掛け”だ。おかげで、観客は「父親は果たして結婚を許すのか?」に加えて「いつ叔母の仇であることに気づくのか?」という緊張感を持ちながら、彼らの人生を観ていくことになる。
このように、本作にはドラマ、コメディ、ラブロマンス、サクセスストーリー、サスペンスと、たくさんのジャンルの要素が詰め込められている。そのため、3時間9分という上映時間があっという間に感じるほど、とにかく“面白い”のだ。
画や美術もこれ以上なく洗練されており、『メッセージ』(2016)や『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』(2018)などを手がけてきたマックス・リヒターの壮麗な音楽も耳に残る。エンターテインメント性と芸術性を併せ持つ映画としても、1つの理想形だろう。お堅い歴史ものだと思わず、長い上映時間から敬遠することなく、まずは劇場に足を運んでほしい。
ナチス政権下のドイツでは、精神障害者や身体障害者に使わせる施設はない、生きるに値しないとして、強制的な安楽死政策が執行されていた。その時代に統合失調症と診断された主人公の叔母は無理やり連行され、そして殺されてしまう。
当時は優生思想に基づき、子孫を残せないようにする“断種”も行われていた。その後には600万人ものユダヤ人が犠牲となった、人類史上最悪の大虐殺であるホロコーストも起こる。その愚かしく残虐な歴史的事実に加担してしまったのが、元ナチスの高官であり、主人公の恋人の父親でもある男カールだったのだ。
そのカールは、決して単純な悪人ではない。産婦人科医としての確かな知識と技術を持ち、目の前で生まれようとしていた新しい命を救うために力を尽くすこともある。だが、その性格はやはり傲慢そのもので、その根底には激しい差別主義的な思想があることも、中盤のとある悲劇的な出来事で如実に示される。
彼に断種や安楽死に加担したことを悔やんでいる様子はなく、そもそもの罪の意識さえもないようにも見える。だが、ある決定的な瞬間、彼は隠し続けてきた己の罪と、はっきりと向き合うことになるのだ。
加害者が罪に向き合うこと、それもナチスのおぞましい思想に従って罪を背負ったと気づくというのは、とてつもなく恐ろしいことではないか。同様に、個人がホロコーストに加担した罪を問う映画には『愛を読むひと』(2008)もあるが、この『ある画家の数奇な運命』の“気づき方”を含めたインパクトはそれ以上。その瞬間は居心地が悪くあると同時に、とてつもないカタルシスに満ちていた。
10月2日より映画『フォレスト・ガンプ』のように1人の男の半生を追う物語
加害者が己の罪に向き合う物語
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