過去の恋愛から自由になるためには? 再会したかつての恋人たちを描く『ふたつのシルエット』

「ここではないどこか」のありかは

 本作の監督は、1983年、栃木県足利市生まれの竹馬靖具。舞台、映画を中心に役者としての活動を経て、2009年に自ら監督・脚本・主演を務めた『今、僕は』でデビュー。  続く2016年公開の『蜃気楼の舟』はホームレスの老人たちに住居を与えて生活保護費を搾取する「囲い屋」の青年と失踪した父を描いたドラマ。主人公の父親であるホームレスに田中泯を迎え、テーマ曲に坂本龍一の楽曲を起用。父親の抱える孤独と葛藤を描いて話題となった。  同作では、失踪しホームレスとなっていた父は息子に「お前の知っている私は何者でもない」と語った。  では、慧也と佳苗が互いに知っていた「私」とは何者だったのだろうか。  デビュー作『今、僕は』で引きこもりの主人公を通して人間の存在不安を切り取った竹馬監督は、2作目の『蜃気楼の舟』でモノクロームの「ここではないどこか」を登場させることにより、現実の人間関係の虚実を炙りだした。
©chiyuwfilm

©chiyuwfilm

 そして本作『ふたつのシルエット』は、自己と他者が時空や場所を超えて対話するが、人間がつい欲求してしまうスケープゴートとしての「ここではないどこか」など存在しない、ましてや、欲求する必要もないと言っているかのようだ。  人間は過去と完全に切り離されて生きていくことはできない。しかし、過去の痛みを受け容れることで「ここではないどこか」に行かなくとも、前を向いて生きることができるのだと。  佳苗にとっての時空を超えた海辺の散歩は、かつての恋人慧也の存在の美化を許すものではなかった。海辺の散歩は、彼女が過去に区切りを付けて一歩前へ踏み出すために必要な儀式だったのだ。  佳苗と慧也、ふたつのシルエットが寄り添う瞬間を目撃した時、誰しも過去の苦い恋の思い出が胸に去来するだろう。    その時に思い浮かべるのは誰か?その残像をはっきり思い浮かべることができなくなった時、人生の秋が近付いたことを感じるのかもしれない。  夏の終わりに静かに観たい大人の作品である。 <文/熊野雅恵>
くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。
1
2
3
バナー 日本を壊した安倍政権
新着記事

ハーバービジネスオンライン編集部からのお知らせ

政治・経済

コロナ禍でむしろ沁みる「全員悪人」の祭典。映画『ジェントルメン』の魅力

カルチャー・スポーツ

頻発する「検索汚染」とキーワードによる検索の限界

社会

ロンドン再封鎖16週目。最終回・英国社会は「新たな段階」に。<入江敦彦の『足止め喰らい日記』嫌々乍らReturns>

国際

仮想通貨は“仮想”な存在なのか? 拡大する現実世界への影響

政治・経済

漫画『進撃の巨人』で政治のエッセンスを。 良質なエンターテイメントは「政治離れ」の処方箋

カルチャー・スポーツ

上司の「応援」なんて部下には響かない!? 今すぐ職場に導入するべきモチベーションアップの方法

社会

64bitへのWindowsの流れ。そして、32bit版Windowsの終焉

社会

再び訪れる「就職氷河期」。縁故優遇政権を終わらせるのは今

政治・経済

微表情研究の世界的権威に聞いた、AI表情分析技術の展望

社会

PDFの生みの親、チャールズ・ゲシキ氏死去。その技術と歴史を振り返る

社会

新年度で登場した「どうしてもソリが合わない同僚」と付き合う方法

社会

マンガでわかる「ウイルスの変異」ってなに?

社会

アンソニー・ホプキンスのオスカー受賞は「番狂わせ」なんかじゃない! 映画『ファーザー』のここが凄い

カルチャー・スポーツ

ネットで話題の「陰謀論チャート」を徹底解説&日本語訳してみた

社会

ロンドン再封鎖15週目。肥満やペットに現れ出したニューノーマル社会の歪み<入江敦彦の『足止め喰らい日記』嫌々乍らReturns>

社会

「ケーキの出前」に「高級ブランドのサブスク」も――コロナ禍のなか「進化」する百貨店

政治・経済

「高度外国人材」という言葉に潜む欺瞞と、日本が搾取し依存する圧倒的多数の外国人労働者の実像とは?

社会