連載を終えながら、私は私が魅了された北朝鮮の魅力的な側面を話そうと思う。
人間とはやはり、残酷な存在だ。人類の歴史は搾取、暴力、憎悪にまみれてきた。そんな搾取から人間を解放するという理念を主張する北朝鮮のような政治体制が人民に行う酷い搾取を見て、私は胸が引き裂かれそうだった。しかし、闇が最も深い場所にも美を見つけることはできた。
その美しさは、舌で見つけた。玉流館(平壌で有名な冷麺専門レストラン)よりも、街の龍福商店というレストランだ。少し湯気のたつ緑豆チヂミの入った酸っぱくてさっぱりした平壌黎明のスープをごくごくと飲むたびに、私は美しさを感じた。
チャンジョン通りのキョンリム食堂をはじめとした都心の高級レストランも我々を驚かせた。また、私が登校前の簡単な朝食にしていた平壌産ヨーグルトは記録しておきたい。現代的な包装で、意外にも食べやすいやわらかなゼリーの食感をした洛淵ヨーグルトの味は今でも私の舌に残っている。
また、美は目でも見ることができた。私が社会主義モダニズムの大作であると思っている統一通り、光復通りのアパートの立派な幾何学的建築。そしてプクセ洞、文繍洞と千里馬通りで散歩するたびに多彩なパステルの色彩世界にはまり込んだ。普通江の遊歩道を歩くたびに私の心は河の水のように穏やかだったし、河の両側に生えた枝垂柳と一体化したような気分になった。
黎明通りを横切る、「人民のために服務せん!」と「我が国が一番である」と書かれた二階建てバスの二階では少年団の子供が寄り掛かっていた。その子供がその赤いネクタイを風になびかせ、道路にはみ出した木の枝を触っている光景は青春の1ページとして強く印象に残った。
そして政治的要素があるとはいえ、私は北朝鮮の小説の登場人物たちの理想的なキャラクターを通じてその美をあらためて感じた。読んだ小説の表紙は、他国のものより派手で、すべてに虹色があしらわれていた。その色使いからも美を感じたのであった。
また、美は耳からも感じ取れた。
街の店で、偶然店のスタッフたちと即興でカラオケをし、人民とともに「平壌冷麺は最高です」(曲)を歌った日、その美は私の耳と心に響いた。平壌のよく晴れたとある夏の日の、セミの鳴き声は大自然のはてしない活気をあらためて感じさせた。
金日成総合大学の校歌の「龍南山の麓で」という歌い出しを聞くと、今だに私の中で「龍南山の息子」(卒業生を比喩する言葉)の一人としての誇りが湧き起こる。
鼻からもだ。平壌で焼肉の焼ける匂いを数えきれないほど嗅いだ。楽園の匂いだった。理由はわからないが、北朝鮮の建造物から匂ってくるカビの匂い、労働者の汗と明太を合わせたような平壌地下鉄のおかしな匂いまでをも私は愛するようになった。
皮膚で感じ取れる美を探し出したこともあった。それは北朝鮮の小説のページをめくるとき、平壌の土を足裏で感じるときだった。
そして北朝鮮の美は、心臓でも感じた。我々留学生に「サービス」をしてくれて、「また来てください」と心から温かい言葉をかけてくれたレストランのおばさんたち。
私を「同務」(同志と類似の意味で、かつさらに気安い呼称)と呼んでくれた金日成総合大学の教員たち、私に高麗ホテルの美味しいキムチ饅頭を買ってくれた同宿生たち。
朝鮮に到着した私を歓迎してくれた平壌のタクシー運転手、そして私の重い電気自転車を地下行きの階段に載せることを進んで手伝ってくれた、見知らぬ男性。
私の記憶に残っていくであろう北朝鮮はまさに、この美しい国なのだ。
(連載は今回で終了となります。ご愛読ありがとうございました)
<文/アレック・シグリー>