その最たる事例が、2017年の解散総選挙だろう。希望の党をひっさげて華々しく登場した小池百合子が「排除の理論」と口走ったいわゆる
「旧民主党リベラル議員切り捨て」戦略は、「共産党との選挙協力を望むようなリベラルは有権者から嫌われているはずだ」という認識から生まれた。当時の希望の党の候補者選定方針は「旧民主党内で、共産党との選挙協力に反対した者から順に公認を出し、共産党との選挙協力を志向する連中には公認を出さない」というものだった*。
〈*2017年当時、「共産党との選挙協力を絶対的に否定する」という態度で、旧民主党の希望の党への合流を進めた前原誠司氏が、今現在も、「共産党との選挙協力は絶対嫌だ」と叫び続けているのはなかなか興味深いではないか〉
が、現実はそうならなかった。あの時、
希望の党に群がったお花畑たちの稚拙な分析を嘲笑うかのように、「共産党が候補者調整をしてくれた選挙のみ、非自民陣営の議席が伸びる」という平成30年の歴史の鉄則が、あの選挙でも示された。あの選挙で、「共産党との選挙協力など有権者から嫌われるはずだ」と嘯いていた連中は死に、「共産党との選挙協力」を選択した人々が野党第一党に躍り出た。これほど皮肉な結果もあるまい。
「無党派有権者は、ダーティーな自民党を否定する、それでいて、ちょっぴり保守な選択肢を求めているはずだ」、「無党派有権者は、共産党のようなイデオロギーを全面に出す勢力を忌避するはずだ」などなど、定性的な分析は、やればやるほど面白いのだろう。だが、大人であれば定性的な分析に着手する前に、まず、過去の事例をふりかえり、定量的な分析に着手するはずだ。
そして、何よりも厳然として存在する「過去の定量データ」である「各選挙における獲得議席数」は、「非自民非共産路線は、当の自民党と共産党によって、喰われてしまう」ことを物語っている。「非自民非共産路線は必敗の路線である」……それが平成30年の歴史が示す厳然たる事実だ。
玉木新党が今後どのような陣容となり、どのように渡世していくのか、現状では不明瞭な部分が多い。しかし、これまで玉木氏や山尾氏の周辺から漏れ聞こえる「ビジョン」もどきを繋ぎ合わせてみると、どうやら玉木新党は、またぞろ「
自民党よりは少し左で、少し左だけれども改憲を主張し、改憲を主張することで保守っぽさをアピールし、その上で、有権者に嫌われないように共産党を排除する路線」を採用したいらしい。この古臭い路線、過去30年にわたり死屍累々の山を築くだけだった路線をあきもせず採用する限り、所詮は「
必敗の路線」に嵌まり込んでしまっていることは、その船出の前から、平成30年の歴史が教えてくれている。
<文/菅野完>
<提供元/
月刊日本2020年9月号>