コロナ禍の8月15日、靖国神社を訪れる「普通」の人々の慰霊感情と忍び寄る「臣民化」
8月15日、コロナ禍における靖国神社の状況を観察しに行った。東京で感染者が増加していることもあり、人数は少なくなるかもしれないと思っていたが、予想に反して、ここ数年では最も多い参拝客が訪れていた。
今年は戦後75年―4分の3世紀―の節目であり、コロナによってお盆に帰省する人も少ない。また、コミックマーケットなどの各種イベントも中止されている。そういうこともあって、確かに人数が増える要因はある。しかし、それでも感染を恐れ、自粛する人が多いのではと考えていたのだ。
参拝列は最長で大村益次郎像のあたりまで伸びており、2時間待ちだったという。境内に入るとソーシャル・ディスタンスのためのテープが貼られているのだが、境内の外側はほぼ無秩序であり、例年通りの待機列と変わらない「密」な状況がつくられていた。しかし参拝客はほとんど気にしていないようだった。
もちろん参拝客のほとんどは、マスクを着用している。だが、マスク無着用者もちらほらとはおり、その数は少なくとも東京の市中におけるそれよりは多かったと思う。そしてその多くは、中高年の男性であった。
増加する「普通の日本人」参拝客
今年はコロナの影響で、集会などのイベントがオンライン化していたこともあり、「普通の」参拝客、特にファミリー層の存在が目立っていた気がする。特段に強い思想や動機があるとも思えない——戦没者遺族にしても、2世代か3世代は間があいているであろう——人たちが、まるでテーマパークのアトラクションでも待っているかの様子で、長い待機列に並んでいるのだ。
靖国で祈ることの問題性
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