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国家安全法で自由は奪われた――そう報じられる香港の実態とは? 現地に住む日本人ジャーナリストが逮捕覚悟で7月1日以降の民主化活動をリポートする。
7月1日の香港は異様な雰囲気に包まれていた。
前日には中国本土で香港国家安全法が成立し、同日夜11時頃に香港で施行。国家の安全に影響を及ぼすと判断される行為を「国家分裂罪」で裁く、としたのだ。同法が「外国勢力との結託」を違法行為に認定したことを受けて、海外との連携を強めてきた民主派政党「
香港衆志(デモシスト)」は解散を決定。同党の中心メンバーだった
黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や
周庭(アグネス・チョウ)らは一足先に脱退を表明した。党首の
羅冠聰(ネイサン・ロー)は7月2日に香港を離れたことを公表。「海外から民主化活動を支援していく」と表明したのだ。
若き民主活動家・黄之鋒は「抗議派」を名乗り選挙に出馬 写真/AFP/アフロ
香港はどう変わるのか? 「高度な自治と自由を保証する一国二制度が崩壊した」と報じられるなか、筆者は香港を練り歩いた。そこで見たのは、
逮捕覚悟で抗議活動を続ける市民たちの姿だった。
’03年以来、初めて7月1日のデモを禁止された
民間人権陣線(民陣)の陳皓桓副招集人は“個人活動”として「15時に東角道を出発する」と呼びかけた。東角道は香港の渋谷とも言うべき銅羅湾にある商業ストリートだ。そこから日本の丸の内にあたるオフィス街・中環を目指す計画を公表したのだ。
これに呼応するように、14時頃から大勢の香港市民は東角道に集まり始めた。国安法の施行に伴い、「香港独立」や北京政府を批判するシュプレヒコールを上げれば、即逮捕。そもそも、香港政府はこの日を念頭に、新型コロナ対策で打ち出した「51人以上の集会の禁止」を7月2日まで延長していた。抗議者を逮捕する口実はいくらでもあった。そのため、デモの始まりは静かなもの。「光復香港(香港を取り戻せ)」のシュプレヒコールが局地的に起こるも、多くの市民は黙して抗議の意を示し続けた。
だが、時間の経過とともに警察との小競り合いが発生。至近距離からペッパースプレーを吹きかけられ、路上にうずくまる抗議者の姿も……。こうした警察の強硬な鎮圧行為がかえって、抗議者たちの反発を呼んだのは間違いない。
「自由が脅かされた今だからこそ声をあげなければいけない」
ペッパースプレーを至近距離で浴びせられる香港市民が多数
街頭でチラシを配布していた40代の会計士は次のように話した。
「国家安全法が施行され、自由が脅かされ始めた今だからこそ声を上げなければいけない。だから、9月に予定されている立法会選挙で民主派が過半数の35議席を獲得できるよう投票に行こうとチラシで呼びかけているんです」
民主派に支持される香港紙『アップルデイリー』の記者は国家安全法の影響で広告収入が落ち込んだことをボヤきながらも、民主派を支援し続けることを強調した。
「海外移住を考える友人が増えましたが、私は香港に生まれ、香港で死にたい。今後どうなるかわかりませんが、ウチの創業者の黎智英(ジミー・ライ)がゴリゴリの民主派ですからね(笑)。民主活動が続く限り、取材を続けます」
ジミー・ライはジョシュアとともに、「国家安全法施行後に真っ先に逮捕される」と噂されている人物。そのトップを差し置いて、現場の記者が民主活動を放棄することはできない、というわけだ。
デモに参加していた40代の教師も、自身の厳しい境遇に悩みながらも「あきらめたらそこで終わり。教え子にもそれが伝わるように、今日ここに来た」と覚悟を決めた様子で話していた。