親切心や優しさがメンタルを蝕む!「いい人でいること」に心を殺されてしまう人々
「人に親切にしないと」「人に優しくしないと」そういう義務感に苦しんでいる人がいる。お願いごとをされると断れない、周りの期待通りに行動しようとする、怒りたくても怒れない、本音を言うことができない……。この記事に興味を持ってくれたということは、もしかしたら、あなたもそうなのかもしれない。
「人に優しく」「人に親切」というのは、人格的には素晴らしいことだが、苦しい思いをしてまで「いい人」である必要はない。だが、「じゃあ、無理してまで人に優しくしなければいいじゃないか」と言われても、人に優しくない自分が許せなかったり、罪悪感があったり、自分自身に素直になれない人がいるのだ。また、「人に優しい自分」がアイデンティティになっているという人もいるだろう。
そのため、本音を我慢してしまうわけだが、それがストレスになり精神的な負荷になって、心が疲弊していく。ある意味「優しさの奴隷」になってしまうのだ。
「優しさの奴隷」にはいくつかタイプがある。ペンシルバニア大学のアダム・グラントらが研究した寛容度判定の4タイプをご紹介しよう。
・自分本位型:他者と接する機会をすべて自分にとっての利益増大機会とみなす。助けてもらって当然だという態度を取る傾向にある。
・お互い様重視:力添えをするが、貸しは返してもらうものだと考えている。損をしないように用心しながら、厚意の貸し借りをする。
・節度ある寛容:頼まれたら何でも引き受けるのではなく、利他的な行いを楽しみながら長く続けられるよう、小さな負担で大きな効果が得られる方法を探す。
・滅私:自分のことは構わずに他者を気遣う。他者、特に自分本位の人々に食い物にされかねない。自分のニーズを顧みないせいで疲れ切ってしまい、皮肉にも、大して他者の力になれずに終わる。
優しさの奴隷は、このなかでは「滅私」にあたる。
滅私の教員の担当する生徒の成績は、自分をいたわる教員に比べて著しく悪くなるという研究結果がある。これは、あらゆる人からの要望に尽くしすぎて、生徒の成績を高めることができなかっただけでなく、自分自身も疲弊してしまうからのようだ。
教職の場だけでなく、職場でも他者を助けようとする人は、次々と助けを求められるようになり、自分ではなく他者の仕事に忙殺されてしまう。そして、その忙しさから精神が疲労してしまう。
人に親切をしても心を疲弊しない人がいるが、そういう人は、依頼されて親切をしているのではなく、自ら率先して人助けをしている人だからだ。自ら率先して親切をする人は、親切を行うことで脳内でオキシトシンが分泌されて幸せな気持ちになったり、精神力が高まったり、創造性が高まったり、脳内ネットワークが広がるなどのポジティブな効果がある。つまり、人を助けることが、その人の幸せと直結しており、寛容判定における「節度ある寛容」をさす。
気づけば「優しさの奴隷」に
滅私は他人にも悪影響を及ぼす
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