この記事が掲載される頃には旧聞になっているかもしれませんが、あるコンビニエンスストアチェーンが販売するプライベートブランド商品のパッケージデザインが話題になっています。話題といっても良い話題ではなく、悪い評判です。絵柄や色彩を抑制したシンプルなパッケージで、フォントも細く、視認性が悪いというのです。カレーの「辛口」と「中辛」を間違えて購入してしまったという苦情から、このデザインの悪さが話題になりました。以前にも他のコンビニチェーンのコーヒーメーカーのデザインが問題になりましたが、今回はさらに批判が拡大し、デザイナーの資質に言及する人もあらわれています。
多くの人が商品デザインに批判を加えるようになったのは、たんに機能性に問題があるというだけでなく、美意識の傾向が変化しているということだと思います。地の色のアイボリーを前面にうちだした「フェミニン」で「清潔感」のあるパッケージは、10年前であれば無条件に受け入れられたかもしれません。しかし現在では、そうではなくなりつつあります。企業や広告業者が考えるような「フェミニン」や「清潔感」のスタイルに、疑問符が付き始めたのかもしれません。
あるいは、もっとうがった見方をすれば、こういうことかもしれません。大企業によって提示された「フェミニン」なデザインは、かつてのように革新的・創造的なものとして受容されるのでなく、むしろ、制度的で押しつけがましいものと受け取られるようになったのではないか。商品を通して再生産される「女子力」や「映える」という価値観は、女性の「女性らしさ」を制度化する主要な舞台となっているわけですが、それが生活に身近な領域であるコンビニエンスストアにまで拡張されようとしたとき、生活文化への重大な侵害と受け取られたのではないか。まあ、これは、考えすぎかもしれません。
さて、歴史を振り返ってみます。
プライベートブランドは、小売業者が商品開発を手掛けるものです。メーカーが生産する商品をただ右から左へと販売するのではなく、小売業者が商品開発を主導し、内容を決定するのです。1960年代、ダイエー、西友といった小売業大手と、生活協同組合が、それぞれ独自の商品開発にのりだします。そうした競合のなかから誕生したのが、1980年、西友の無印良品です。
無印良品は、絵柄を排したシンプルなパッケージで好評を得ます。このスタイルは生協商品と対照的な結果を導きます。生協商品は、商品・商業にたいする対抗文化としてシンプルさを追求するのですが、無印良品はこれを商業のメインステージに押し上げていきます。抑制された色とタイポグラフィのみという構成は、商品自体がもつフェティシズムを引き出し、先進性や高級感を与えることに成功するのです。
では、無印良品の地味なパッケージは、なぜ成功したのでしょうか。このことを考えるには、パッケージデザインそのものでなく、商品が陳列される売り場の変化を見なくてはなりません。