©2020「のぼる小寺さん」製作委員会
7月3日より映画『のぼる小寺さん』が公開されている。
本作はボルダリングという競技を扱っているが、いわゆる“スポ根”ものではない。「誰もがそっと背中押される青春応援ムービー」と銘打たれている通りの、すべての青春と、そして「がんばること」そのものを肯定する寓話として完成された、新たな傑作と言える出来栄えだった。その魅力をたっぷりと記していこう。
1:『桐島』や『ちはやふる』に通ずる、努力と青春にまつわるメッセージ
小寺さんはボルダリングに一直線な女の子。物語は「がんばっている」小寺さんと出会った少年少女が、一歩ずつ何かへ進むことで始まる。ちょっと天然で変人なところもある小寺さんの素直な言葉や、何よりも好きなことに一生懸命に取り組んでいる姿が、周りに少しだけ影響を与えていくのだ。
その影響は本当にほんの少しのこと。「あの子もがんばっているから、自分の好きなことをちょっとやってみようかな」と思うという程度のことだ(実際の彼ら彼女らの心理はもう少し複雑ではある)。でも、青春の真っ只中にいて、まだ「何者でもない」彼らにとっては、それはとても大きな前進。それぞれの前進はさらに周りに波状的に広がって、やがて大きな“変化”の物語になっていく。その過程はドラマティックでもあり、エンターテインメントとしても面白いのだ。
©2020「のぼる小寺さん」製作委員会
舞台のほとんどは学校の中、極めて狭い範囲の物語が紡がれていること、何より高校生たちによる群像劇であることなどから『桐島、部活やめるってよ』(2012)を思い出す方も多いのではないだろうか。こちらはイケてる男の子の“不在”により学校内で不協和音が起こってしまう、閉塞的な学校生活をリアルに綴った作品だった。
明るい雰囲気の『のぼる小寺さん』とはある意味で正反対だが、どちらも思春期の少年少女にとって「身近な他者」の存在がどれだけ大きな存在となるか、ということを思い知らされる内容だった。
また、映画『ちはやふる』3部作を思い出す方も多いだろう。こちらも「好きなことに一直線」な主人公の女の子が周りを変えていく青春映画だったからだ。特に完結編である『ちはやふる 結び』(2018)では、青春の意義そのものを高らかに謳いあげており、そのメッセージがまったく説教くさくないというのも『のぼる小寺さん』と共通していた。
それらの青春映画の名作および『のぼる小寺さん』が素晴らしいのは、「がんばること」そのものの物語になっていることだろう。
青春の時の努力が報われなかった、と感じている方は少なくはないはずだ。部活をがんばっていたのに試合ではあっさり負けてしまった、あの時の努力は今の仕事や生活とは何の関係もない、といったように。もしくは、そもそも青春で何にも打ち込めなかった、がんばることができなかったという方もいるだろう。
©2020「のぼる小寺さん」製作委員会
しかし、『のぼる小寺さん』には、時には無駄な努力と言い捨てられてしまう青春、もしくは何もしてこなかったと卑下してしまうような青春でさえも、「周りの誰かを変えていく」という物語を通じて、あらゆる努力を含めて肯定してしまうかのような、巨大な優しさがあったのだ。
そのメッセージはこうも言い換えられるだろう。「あなたも、あの時にがんばっていたんだよ」「そのがんばっていたことは、周りの誰かに良い影響を与えていたかもしれないよ。だから、きっとよかったことなんだよと」と。この努力および青春への圧倒的なまでのポジティブなメッセージは、当事者である若者はもちろん、すべての青春を通った大人が感涙できるのではないだろうか。
2:古厩智之監督と脚本家・吉田玲子のタッグが生み出したマジック
古厩智之監督と脚本家・吉田玲子という、どちらも青春映画を手がけてきた作家が、この『のぼる小寺さん』でタッグを組んだ。これは、もはや奇跡的な巡り合わせといっても過言ではないだろう。2人の作家性が完璧なまでに発揮され、ある種のマジックと言える最高の相性の良さを見せているのだから。
例えば、古厩智之監督が脚本も兼任した『ロボコン』(2003)や『武士道シックスティーン』(2010)では、どちらも「勝ち負け以外に大切なことがあるのではないか?」「そもそも何のためにがんばるのか?」という、青春や努力そのものへの疑問を投げかけているところがあった。この問いは、まさに今回の『のぼる小寺さん』に通じている。古厩監督が提示し続けていた1つの答えが、吉田玲子という脚本家の手で“完成”されたようにも感じたのだ。
また、スポーツに打ち込む若者の姿が、みずみずしくも少し落ち着いた雰囲気の中にあるということも古厩智之監督の“らしさ”。スポ根ものらしいアツさやケレン味や派手さは抑えめだが、役者のそのままの姿をしっかり見据えて撮りたい、という作家としての矜持も感じられる。これも、「その時しかない」青春を切り取り、そして努力と青春そのものを応援する『のぼる小寺さん』という作品との相性が抜群だったのだ。
©2020「のぼる小寺さん」製作委員会
吉田玲子は多数のテレビアニメの脚本やシリーズ構成のほか、『映画 聲の形』(2016)『若おかみは小学生!』(2018)など絶大な支持を得たアニメ映画も手がけてきた。その脚本は「何気ないセリフが後から伏線として意味を成すようになる」や「様々なシーンが有機的に絡む構成になっている」など、とにかく完成度が高い。キャラクターそれぞれの個性を丁寧に描き、「みんなちがってみんないい」な“多様性”を提示してみせるのも吉田玲子の作家性だろう。
今回の『のぼる小寺さん』でもその吉田玲子の作家性が存分に発揮されているのはもちろん、「原作(マンガ)を1本の映画として再構成する」手腕はもはや神がかり的なレベルになっている。例えば、原作マンガでは最終4巻にあった“進路調査票”にまつわるエピソードを、主要キャラクター5人が集う“物語の起点”に持ってくることで、映画としてのダイナミズムを作り出している。細かいところでは、男子部員の長すぎる髪型が話題になった時の小寺さんのセリフが、彼女の「ボルダリングのことしか考えていない」おかしみが原作より際立つように改変されていたりするのだ。
それでいて、原作マンガにあった印象的なセリフ、そのエッセンスは十分にこの映画の中で提示されている。群像劇として各要素が再構成されたことで、原作の精神性に「こういうことだったのか」とあらためて気づかされることもあった。キャラクターの個性、もっと言えばかわいらさしさも存分に際立つようになっており、古厩監督の役者の魅力を引き出す手腕も相まって、どのシーンを切り取っても「みんなかわいくて大好きだなあ」と“尊さ”を感じるばかりだったのだ。
©2020「のぼる小寺さん」製作委員会
なお、吉田玲子脚本作品の中で、今回の『のぼる小寺さん』に近いのは、吹奏楽部内での女の子たちの友情、そしてわずかな心の揺れ動きをドラマティックに描いた『リズと青い鳥』(2018)、もしくは男の子の恋心がとってもかわいらしく綴られた『たまこラブストーリー』(2014)になるだろう。どちらも人気テレビアニメの続編(スピンオフ)だが、予備知識がまったくなくても楽しめる内容なので、ぜひこの機会にご覧になってほしい。