大阪地裁前で言葉を交わす赤木雅子さんと阪口徳雄弁護士・6月25日筆者撮影
森友問題改ざん強制で自死した赤木さんの妻の訴訟を支える弁護士
「おはようございます。今日は阪口先生の裁判の取材に行かれるんですよね。それって私も行ってみることできますか?」
こんなLINEが
赤木雅子さんから届いた。森友学園への国有地売却をめぐる公文書の改ざんを強いられて命を絶った財務省近畿財務局の赤木俊夫さん(享年54)の妻。夫が書き残した改ざんについての「手記」を今年3月に『週刊文春』誌上で公表し、改ざんを指示したとされる佐川宣寿元財務省理財局長と国を相手に裁判を起こした。
一方、阪口先生とは
阪口徳雄弁護士のこと。大阪の名物弁護士の一人で、森友問題の発覚当初から真相を追及し、国を相手にした裁判の代理人を務めている。この日、6月25日は森友問題に関連する公文書の情報公開をめぐる裁判の一審判決があった。LINEにある「阪口先生の裁判」とはこのことを指す。
だが阪口弁護士は赤木雅子さんの裁判の代理人を務めているわけではない。それなのになぜ赤木さんは阪口弁護士の裁判に関心を示したのか? そこには知られざるエピソードがあった。
話は今年1月にさかのぼる。当時、赤木雅子さんは別の弁護士に裁判の準備を依頼していた。その弁護士は以前、近畿財務局に勤めていたことがあり、俊夫さんが亡くなった直後に近畿財務局の職員の紹介で赤木さんの代理人を務めるようになった。
当初、取材に押しよせるマスコミ対策では助けになったが、いざ国を相手の裁判を準備する段階になると、赤木さんの意向を受け入れてくれないことが多々あり、赤木さんは次第に弁護士への不信を募らせるようになっていた。
「先生の事務所から帰る時は私いつも泣いて帰るんですよ」と聞いたこともあり、私は「それはおかしいですよ。弁護士は依頼人のために動くものです」と話したこともある。
赤木さんは裁判の方針がその弁護士の言うとおりでいいのか不安に思っていたので、私は「別の弁護士に意見を聞いてみてはいかがですか? 医療と同じで、セカンドオピニオンを聞いてみるんです」と勧めていた。
それでも弁護士というものに恐怖感を抱くようになっていた赤木さんは、なかなか踏み切れずにいた。しかしついにたまりかねたのか、ある日「相澤さんが紹介すると話していた弁護士さんはどなたですか?」と尋ねてきた。そこで私が紹介したのが、阪口弁護士であった。
大阪地裁に入庁する阪口弁護士ら弁護団と、原告の上脇博之教授
阪口徳雄弁護士は1971年、司法修習生の終了式で、クラス代表として最高裁の方針に異を唱えようとして、修習生を罷免、つまりクビになったことがある。このため弁護士になるのが2年遅れたという強者である。その後も市民の立場から行政や大企業の問題を追及してきた。赤木さんに紹介するなら阪口弁護士しかいないと私は前から考えていた。
1月16日、私は大阪・北浜にある阪口弁護士の事務所に赤木雅子さんを案内した。俊夫さんの「手記」を取り出して手渡す赤木さん。それをしばらくじっと読み込んでいた阪口弁護士は、読み終えると顔を上げ、赤木さんにゆっくりと語りかけた。
「あんた、一人でつらかったやろなあ」
この一言が決め手になった。この後、赤木さんは事務所を出るなり私に伝えた。
「相澤さん。私、弁護士さんを変えることにします。阪口先生にお願いします」
私は突然のことに驚いた。
「どうして急に決意したんですか?」
「阪口先生は夫の手記を読んで真っ先に『あんた、一人でつらかったやろなあ』と言ってくれました。私はその一言を言ってほしかった。本当に一人でつらかったと理解してほしかったんです」
それまでの弁護士からは一度もそんな言葉をかけられたことがなかったという。阪口弁護士の一言が、赤木雅子さんの心を動かし、人生を変えた。阪口弁護士が常に依頼者の心に寄り添う気持ちを忘れないからこそ出てきた一言だろう。弁護士かくあるべし、という見本を見る思いだった。