ナチスに加担したとみなされた法律家は、ドイツ(西ドイツ)において、すべてがその責任を問われたわけではなかった。法学者でいえばカール・シュミットのように二度と大学に復帰できなかった人物もいたが、カール・ラーレンツやエルンスト・ルドルフ・フーバーなど、キール学派とよばれるナチスに積極的に加担した法学者でさえ、職を追われることはなかった。
ナチス刑法に基づき多くの死刑判決を出した法曹たちも、多くは訴追を免れた。独裁政権下の法律であろうと、民主主義政権下の法律であろうと、法律は法律であり、法律に基づいて下された判決なのであれば裁判官には責任はない、とみなされたからだ。「法治国家(Rechtsstaat)」のきわめて保守的な解釈が、戦後ドイツでも一般的だった。
作中に出てくるドレーアー法、つまり「秩序違反法施行法」を制定した中心人物エドゥアルト・ ドレーアーも、ナチス政権下で検事として「辣腕」を振るった法律家であるが、やはり戦後の公職追放を免れている。
1968年に施行されたドレーアー法は、ナチ犯罪の幇助犯、つまり「法や命令に従って」ナチ犯罪に加担した法律家や軍人などが行った犯罪についての時効を短縮させた。当時のドイツは保守政党であるCDUと、革新政党であるSPDの大連立政権で、法務大臣は進歩的な思想を持つSPDのグスタフ・ハイネマンであり、革新的な刑法改正を主導していた。
本来ハイネマンが行おうとしていたことは、1968年に高揚した学生運動の中で暴動を起こし逮捕された学生の救済だったとされる。ところが、それを逆手にとるかたちで、ドレーアーはナチ犯罪の免責となりうる法律を密輸入したのだ。
当時はアドルフ・アイヒマン逮捕の功労者として知られるフランクフルトの検事フリッツ・バウアーらによって、司法界においてもようやくナチ犯罪への追及が厳しくなりつつあった時期であった。ドレーアー法はいわばその反動として、多くの法律家や軍人を訴追から免れさせたのだった。
1968年革命の中で若者たちは、親世代のナチ犯罪を追及するようになる。1969年にはブラント政権が誕生し、負の歴史を直視しようとする動きが拡大していく。しかし、まさにその転換期に、「法の穴」がつくられたのだ。『コリーニ事件』は、その現実を真正面から向き合った作品であり、小説が出版されたあとの反響から、ドイツ連邦法務省が2012年に調査委員会を設置したのもうなずける。
戦争犯罪の否認論者が政権を牛耳っている日本と比べて、ドイツは歴史との向き合い方について「優等生」といえるが、そのドイツにしても完全に過去が「克服」されたとはいえない。『お名前はアドルフ?』『コリーニ事件』というテイストが違った作品をふたつ並べても、それは明らかだろう。こうした亡霊のような過去から逃れたいと考える論者にとって、それは「過ぎ去ろうとしない過去」(E・ノルテ)であり「道徳的棍棒」(M・ヴァルザー)なのだ。
しかし、やはりドイツが未完のプロジェクトとしての「過去の克服」の問題に取り組み続けることは義務なのだろう。そのような社会の雰囲気は、自然と映画というメディアの中にも現れてくる。別に鑑賞中は難しいことを意識することはなく、作品そのものの力もあって純粋に楽しんで見ることはできるのだが、観終わった後に作品の背景について調べてみても楽しめる、そうした映画二本であった。
<文/北守(藤崎剛人)>