トルコ政府のクルド人弾圧から逃れてきたアリさんが敗訴
いつも笑顔のアリさんだが、今日は表情が物悲しい
「1、原告の請求を棄却する。2、控訴費用は原告の負担とする」
1年半に渡った東京地裁での裁判の判決は、裁判長の一言で非常にあっけない幕引きとなった。
6月11日は、トルコ国籍クルド人難民のアリ・アイユルドゥズさんの判決の日だった。アリさんは在留資格を得るために出入国在留管理庁(入管)と争っていたが、敗訴が確定した。
この日の判決を見届けるために50人近くのアリさんの友人たちが集ったが、「コロナ対策」と称して18名しか法廷に入ることができなかった。それさえなければ傍聴席を埋め尽くすこともできただろう。入れなかった人たちは、せっかく来たにもかかわらず廊下で待つしかなかった。
アリさんは1993年に来日した。トルコでは、クルド人は自分の言葉や文化を禁止され、差別を受けている。アリさんも例外ではなかった。たびたび起こるトルコ人とクルド人の衝突にいつも不安を感じていた。
徴兵の年になったら自分はトルコ軍に入隊させられる。そうなればクルド人と戦い、時には殺さなければならない。同胞に対し銃を向けることをどうしても避けたかったため、悩んだ末トルコを出る決意をした。
日本を選んだのは、親戚が1人日本にいて頼れると思ったのと、トルコから日本へは査証が免除されるのですぐに行きやすいと判断したからだった。家族の協力のもと、1人で日本を目指した。
余談ではあるがその親戚は今、日本にいない。
現在ではアリさんが日本で最も古いクルド人となる。
日本人と結婚して11年目になるも在留資格は下りない
しかし、日本にでもアリさんには休まる時がなかった。当時は難民申請をすることを知らなかった。
オーバーステイで入管に収容され、合わせて4年3か月も自由を奪われている。
2004年、
法務省が日本で難民申請をしているクルド人の名前などの個人情報を、トルコ政府に情報漏洩してしまうという事件が起きた。それにより、トルコ政府は難民申請している人たちの実家まで行き、日本にいる彼らのことを聞きまわった。アリさんの出身地にも政府の人間が入った。その件によって、クルド人当事者たちはますますトルコに帰れなくなってしまったのだ。
さらにアリさんは2003年、少しずつ増えてきたクルド人の仲間と「日本クルド友好協会」(※6/23 14時追記:アリさんたちが作った協会はすでに閉鎖されており、今ある同じ名前の協会は別団体である)を設立した。日本でクルドの料理や文化を広げる極めて平和的なグループだったが、それをトルコ政府は許さなかった。
目をつけられ、2005年にトルコ政府が当時の小泉首相に協会の閉鎖を要求してくることもあった。アリさんの苦難はどこまでも続いていく。
収容と強制送還の恐怖におびえる日々を過ごし、身心ともに傷ついていた時、アリさんは日本国籍の女性と出会う。すぐに意気投合し、2人は籍を入れた。今年で結婚11年目となるがそれでもアリさんに在留資格は下りない。