緊急事態宣言の解除後も終わらないコロナ危機。「例外状態の常態化」で進む新自由主義的再編とファシズムの台頭に抗うには?

解除された緊急事態宣言

緊急事態宣言下の渋谷

緊急事態宣言下の渋谷

 5月25日、政府は新型コロナ感染拡大に伴う緊急事態宣言を、およそ1月半ぶりに全都道府県で解除した。ゴールデンウィークの「自粛」要請などを経て、感染者数が一定の減少をみせたことなどから総合的に判断した結果だという。  一方で、緊急事態宣言が解除されたのちも感染者がゼロになったわけではなく、北九州市や東京都など、宣言解除後に感染者が増加してしまっている地域もある。感染者が減るにせよ、増えるにせよ、それはグラデーションでしか変化しない。したがって緊急事態をどこで区切るかは、最終的には政治判断となる。  ところが、結局のところ権力者の匙加減でしかないはずの宣言解除が、その前と後で世界が180度変化するようなメルクマールとして捉えられている。たとえば25日、安倍首相は6月19日から県をまたぐ移動を解禁する考えを示し、マスコミはそれをそのままに発表した。  しかし、そもそも物流などで県をまたぐ移動はこれまでもされてきたし、一部の公共交通機関が「自粛」した以外は、特に検問などもやっていなかったのだから、やろうと思えば移動は自由にできたはずだ。  緊急時宣言に伴う外出や営業に関する規制は、あくまでも「自粛」要請であって、強制力はない。しかしこの社会は、緊急事態宣言が解除されたのち、あたかもそれが上から強制されたものだったかのように扱っている。人々は自由を再び手に入れ、日常が回復したかのようだ。  しかし、必ず到来するとされている第二波への恐怖、「新しい生活様式」。この2ヶ月で多くの店が閉店を余儀なくされた、シャッターだらけの商店街。政府は持続化給付金の支給を急ぐとしているが、間に合わなかったり、額面が不十分だったりで、消費税増税の打撃も相まって、今後さらに閉店・倒産ラッシュが続かないとも限らない。我々はかつての日常に復帰したのではなく、いまだ終わりの見えぬ例外状態のなかに置かれているのだ。

例外状態の状態化

 6月2日、東京都は「夜の歓楽街」での感染者が増えているとして、警視庁とともに「夜の歓楽街見回り隊」を結成することを検討するとした。しかし、これはいかなる法的根拠に基づくのか。政府は5月31日、東京や北九州での感染者増加に伴って、緊急事態宣言を再び発動することは「今のところ考えていない」と発表した。2日の時点では東京都も、経済活動再開のステップを緩めるつもりはないとしている。都が行った「警戒」は、せいぜい「東京アラート」なるものを発令し、橋を赤くしただけにすぎない。  しかし、警察との協力による「見回り隊」は、該当する事業者や消費者に対して大きな圧力となることは明らかだろう。都は、表向きには経済や社会の常態への復帰を進めつつも、他方で緊急事態の事実上の継続を、法的根拠なしに行おうとしている。この「新しい緊急事態」は公式に宣言されたものではなく、従ってその基準も、終わりも、すべてが不明確な、常態化された例外状態なのだ。  例外状態が常態化されたところでは、今でも起きているような、「不要不急」をめぐる闘争が激しくなるだろう。感染者数が増減するたびに、映画館、パチンコ屋、バー、学校、スポーツクラブ、などの諸施設、あるいは帰省、飲み会、バーベキューなどの行動について、果たしてこの「時局」にふさわしいかどうかが喧々囂々と議論されるのだ。  もちろんこの例外状態下でも、通勤電車やリモート不可能な労働といったものは、手つかずのまま残されるだろう。この社会において有用であり、必要不可欠とされるものを中心に、この社会において不要とされるものを外縁に置いて、社会は同心円状に分断されていく。
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補完される都市空間の新自由主義化
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