私は、路上などの取材では極力腕章等を着けない。公共の場での写真撮影等の取材活動に許可はいらないのだから、それをジャーナリストがやろうが別の仕事を生業とする市民がやろうが全て自由であり、
腕章の有無で差別されるべきではないからだ。
しかしこの日は、私が主宰するニュースサイト「
やや日刊カルト新聞」の腕章を着けていた。警察と揉めることが目に見えており、過去、学生活動家のアジトで公安警察のガサが入れを取材した際に警官から活動家の一味と間違えられ乱暴に組み敷かれた経験があったからだ。警察に向けて、第三者による取材活動である旨を明示する意図で腕章を着けた。
しかし全く意味がなかった。
雀卓の角に陣取っていた私に対しても、警官(たぶん)は平気で押してきた。私は大会が終わるまでカメラを構えながら踏ん張り続けなければならなかった。おかげで、いま極度の筋肉痛に襲われながら本稿を執筆している。
警官(たぶん)からは「
撮影はやめてください」とも言われた。もちろん従わなかったが、どうやら取材をしてはいけなかったらしい。
主催者や参加者たちに対しては、
「路上(公園)での麻雀はダメ」といった趣旨のことを口にした警官(たぶん)はいたものの、私が把握できた範囲では「賭け麻雀はやめなさい」との注意はなかった。プラカードで堂々と「テンピン」と謳っていたにも関わらず、だ。
「金賭けてるの?」と言質を取ろうとして話しかけてきた警官(たぶん)がいただけである。
警察(たぶん)側は一貫して、
「道交法」と「公園法」あるいは公園管理者の「意向」を妨害の理由として挙げた。しかし
具体的な条文を挙げることはなく、道交法の関連で「通行を妨げていない」という参加者の反論に対して、
「それは警察が判断する」としか説明できていなかった。
私自身は道交法にしろ公園法にしろ法律の条文にも実際の運用にも詳しくはない。しかしいずれにせよ、警官が市民の行動に対して強制力を発揮する以上は、
市民側の反論に対しても有効な法的根拠を示すのが手順というものではないのか。言うまでもなく、
公共の場での取材活動をやめさせる権限も警察にはない。
根拠を示さず身分も示さず、「お願い」の体で事実上の実力行使を行う。同時に、テレビの撮影用だと手を出さないという恣意的な姿勢も見せた。
「黒川杯」は本来、
「黒川氏の賭け麻雀が逮捕や送検にならないのであれば、同じ条件での賭け麻雀が解禁されたという認識でよろしいか?」という皮肉的な実地検証だった。警官(たぶん)たちの妨害により賭けが成立せず、この点は消化不良ではあった。しかし賭博の摘発基準とは別に、
市民の行動や取材活動に対して恣意的に強制力を用いるこの国の警察(たぶん)の本性を見事にあぶり出した企画だった。
【ツイキャス録画(ノーカット計約2時間。撮影はいずれも筆者)
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検察庁前から「黒川杯」終了まで
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大会終了後、メディア撮影用麻雀等
<取材・文・撮影/藤倉善郎>