アイルランドやブラジルの食肉処理工場でも感染が拡大
実は他国の食肉処理工場でも新型コロナウイルスの感染は広がりつつある。
例えば、2020年5月1日の
ガーディアン紙によれば、アイルランド南部のティペラリー州にあるロスデラ食肉工場では、350人の労働者のうち120人がコロナウイルス陽性だったことが判明している 。ロスデラ社は、アイルランド最大の豚肉加工会社だ。マイケル・クリード農業大臣は国会議員に対し、この他に6つの食肉処理工場で労働者のコロナウイルス感染があると公表した。
ロスデラ社は多くの労働者がウイルス陽性反応だったことを受け、安全確保のための厳格な措置を講じており、すべての労働者が仕事に戻れるまで生産を縮小すると発表した。食肉工場の労働者によれば、働く者はみな、ウイルス感染を恐れており、一部の工場では社会的隔離が確保されておらず、それどころか「人々は互いの上に乗りあうように仕事をしている。まるで家畜市場のようだ」と述べている。労働者はラインマネージャーへ環境改善を訴えたが無視されたとも語っている。
アイルランドで農産物・加工品の輸出は大きな位置を占めており、180カ国以上に輸出され17万人以上の雇用を生み出す。コロナ感染者が出たため工場を一時閉鎖したドーン・ミートは、英国とEUのマクドナルド向けに年間4億個以上のハンバーガーを生産している。
各企業に対して労働組合は、工場での健康・安全リスク評価の実施や環境の改善、個人用の防護具の支給などを求めている。中には改善が見られた工場もあるが、アイルランドのロックダウンは今後数週間続く見込みであり感染の収束も見通せない。こうした不安な状況と不十分な環境の下、労働者は働き続けざるを得ない。
さらに、感染拡大が徐々に深刻化しているブラジルでも、食肉加工場における集団感染が報告されている。
ブラジルのリオグランデドスル州の保健当局は、同州内の9つの食肉加工工場で3月20日から4月27日までの間にコロナウイルスの症例が確認されたとの
報告書を公表した。保健当局によれば、食肉加工工場の労働者124名が感染し、少なくとも1名が死亡したとしている。大手食肉企業の工場の一時閉鎖の事例も出ている。
米国での食肉処理工場での感染拡大は、日本の私たちと決して無関係ではない。工場の労働者たちが日々命の危険を冒しながら処理する牛肉、豚肉、鶏肉などは、日本にも大量に輸出されているからだ。米国産の牛肉の24%、豚肉の16.2%は日本向けであり、米国にとって日本は最も重要な市場の一つだ(図2)。
図2:米国の輸出の国別割合
特に、2020年1月1日に発効した日米貿易協定にて、日本が米国産の牛肉・豚肉などにかけている関税が大きく削減されることになった。その結果、発効直後の1月~3月までで米国からの食肉輸入量は伸びてきている。
自由貿易協定が交渉・締結される際、政府やマスメディアは「安い製品が入ってくるので消費者にメリット」と喧伝する。確かに米国産の食肉は国産と比べ2~3割、場合によっては半額近くも安い。しかしその安さの背景には、今回のウイルス感染する工場の問題でも明らかになったような、劣悪な労働環境がある。これが世界中に張り巡らされた食のサプライチェーンシステムの現実だ。
いま世界中で、新型コロナウイルスと闘う医療従事者に対して感謝と激励のメッセージが送られている。感染リスクの中、人々に食を供給する生産者、流通、小売業に携わる人々も同じように称賛され、励まされるべき存在ではないだろうか。しかし実際には、米国の食肉処理工場で起こっているように、特に先進国の食の現場で働く人々の権利は軽んじられたままであり、まるで使い捨ての商品のように扱われている。それでも私たちは、「供給を止めるな」「安ければそれでいいのだ」と言い続けられるだろうか?
米国だけでなく各地の食肉加工工場での感染拡大は偶然のことではない。かねてより食肉工場での労働環境の劣悪さ、低賃金・長時間労働など待遇、さらに労働者への差別や偏見など多くの問題が指摘されてきた。新型コロナウイルスによって改めてそれらが顕在化された。食肉産業にはホルモン剤投与などによる肉の安全性の課題も多く、さらに農業全体では、わずか数社のグローバル企業が世界中の種子や農薬市場を独占している問題など、現在のフード・システムの問題点が凝縮されている。
まずは食の現場で働く人びとの健康と生命が十分保護されるべきであるが、長期的には、今回のパンデミックを機に、大量生産・大量消費という食のあり方を見直す必要がある。食の安全保障のためにサプライチェーンはできるだけ短くすること、また食の現場で働く人々の安全や権利を含めた「食の正義」「食の民主主義」という価値を、どの国においても確立し、実践していくことが重要だろう。
<文/内田聖子>