無差別のコロナと差別的な人間、新型コロナ経済対策に垣間見える国家主義の台頭

隆盛する排外主義と伝統的価値観

 新型コロナウイルスは恐ろしいほどに差別をしない。差別をするのは人間だ。  前述したように、今回の新型コロナウイルスの影響で世界中、無差別に人が亡くなっている。また、多くの国、多くの人が行動を「自粛」の名の下制限されている中、明日、来週、来月の資金調達に困っている人が大半だ。  このような文字通りの「非常事態」の時に、国籍主義の精神の下、日本で一生懸命働いて納税し、日本の経済を支えている人々を無視するのはそもそも人の倫理に反するといえよう。ちなみに、小野田議員の言う「他国が日本国民を同様に扱っているならば相互主義」は既に実現されているし、一国会議員なのであれば各国の経済対策などにもしっかり目を通していただきたいものだ。インターネットがあれば簡単にできることだ。  先日、ターフ論争に関する記事でも差別について触れたばかりだが、このように非常事態時に加速する国家主義的考えや排他的な考えも、やはり自身の社会的秩序・線引きに基づいた自身の存在が危機感を感じるという「恐れ」に依拠するものであると言っても過言ではないだろう。  ベルリンの壁が崩壊してから1年後の1990年に出版された大前研一氏による『ボーダレス・ワールド』は、現在のグローバル化された経済社会を見据えた革新的な本だ。国境が経済生活においていかに意味をなさなくなるか、という内容だ。  日本人の大半が中国やベトナムで生産された洋服を着て、アメリカやオーストラリア産の肉を日々食べている。私たちは日本という国にいながら外国の影響を知らず知らずに受けているのだ。  もちろん、このグローバル化と言うものは我々のアイデンティティにも影響する。人と物の移動がより自由になるということは、既存の伝統的価値観(国家や宗教)が否定されることでもある。  そうすると、「心の拠り所」を失った人たちはそれによる「恐れ」から伝統的価値観を守ろうとする。また、このような既存の伝統的価値観は外来者からの「安全」のイメージを投影しやすい、とスウェーデン人、政治心理学者のカタリーナ・キンヴァル氏は論じる。  今、この新型コロナウイルスで世界中が揺れ動く中、グローバル化の価値観も一気に後退してしまったようである。  実際に、国境が封鎖され、人と物の移動の自由が制限されたこと、そしてそれぞれの国家がまるで新型コロナウイルス対策レースでもしているかのようなこの状況。  これはグローバル化とは真逆のベクトルである。  グローバル化の価値観への反発とは、既存の伝統的な価値観、特にこの文脈では小野田議員のような国家主義的な価値観の再興ということになるだろう。これは別に日本に限ったことではない。(無論、筆者はここでグローバル化の全てを賞賛したい訳ではない。グローバル化のおかげで国家間レベルでの貧富の差が拡大しているのは事実である。)  このようなグローバル化への反発は新型コロナウイルス以前からすでに起こっていた。米ドナルド・トランプ氏のような「大アメリカ主義」を唱える大統領、英国のEU離脱、そして日本の安倍政権の保守化。各国で既にここ10年で保守派が台頭していたが、新型コロナウイルスのパンデミック化を機にこのような保守的な価値観に急激に拍車がかかっていると言っても過言ではないだろう。  米トランプ大統領が新型コロナウイルスを「中国ウイルス」と発言したり、欧米諸国で東アジア人が差別の対象になっていたりすることも、恐れや危機感に依拠する「外来者」の排除・差別が心理的原因だろう。  また、筆者の暮らす英国でも、ボリス・ジョンソン首相の演説の仕方はまるで第二次世界大戦中のウィンストン・チャーチル首相の如く、強く国民を鼓舞するような話し方だ。そして遂にはエリザベス女王までもがテレビで演説するという、まるで本当に戦時中のような状況である。  今、程度の違いはあれど、世界中が困難な状況に置かれている。これは皮肉にも無差別である。  このような時だからこそ国家間で協力しあって新型コロナ危機の終息を目指すのが筋ではないのだろうか。「他者」を(例えば国籍で)線引きし、自己優越感に浸るのはなんと陳腐で自分勝手な行いなのだろう。  一人一人が、国と国同士が、協力し合うことで感染の抑止だけではなく、本来の意味での新型コロナ危機、経済・社会的な危機を乗り越えることが可能なのである。  一刻も早くこの事態が終息することを心から願っている。 【参考文献】 Kinnvall, C. (2004). Globalization and Religious Nationalism: Self, Identity, and the Search for Ontological Security. Political Psychology, 25(5), 741-767. Retrieved April 7, 2020, from www.jstor.org/stable/3792342 大前研一 (1990) 『ボーダーレス・ワールド』プレジデント社 <文/小高麻衣子>
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院人類学・社会学PhD在籍。ジェンダー・メディアという視点からポルノ・スタディーズを推進し、女性の性のあり方について考える若手研究者。
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