不良が始めたMCバトル、オタクの参加を経てさらに次世代へ。凱旋MCバトル成功の背景にあった新世代の絆<ダメリーマン成り上がり道 #27>
新進気鋭のMCバトルイベントとして、今やヘッズから絶大な支持を集める凱旋MCBATTLE。20代前半にして、イベントの主催者である怨念JAPに、当連載でお馴染みのMC正社員が急成長を遂げた秘訣を直撃する!
――この連載でもMC正社員さんがイベントを始めた当初はかなり苦労されたと話していましたが、怨念JAPさんの場合はどうだったんですか?
怨念JAP(以下、怨念):「最初に凱旋MCバトルを始めたときは渋谷のclub bar FAMILYという150人ぐらいの会場でした。そこで半年間、ほぼ毎月5〜6回ぐらいやって。その次はVUENOSという300人ぐらいのところでやりたいなと思って、正社員さんに箱を押さえてもらったり、いろいろ助けていただいたんです」
MC正社員(以下、正社員):「イベントは最初からパンパンだったの?」
怨念:「人はパンパンでしたね」
正社員:「なんで!?」
怨念:「エントリーの時点で、参加するMCが80〜90人ぐらいいたんで。3 on 3
のときとか、40チームで120人とかエントリーしてましたからね」
正社員:「なんでこんなに人気なのか、ずっと謎が解き明かされないまま……」
–それだけのMCを集めるだけでも大変そうですよね。
怨念:「一般のエントリーするMCは全部SNSで集めてますね。怨念JAPとしての個人アカウントのフォロワー数は、凱旋を始めたときで2000人ぐらいですかね」
正社員:「それでなんでそんなに集まるんだろう。今集まる理由はなんとなくこうなのかなってのがあるけど、一番最初に集まったのはなんでなのかな……。結構、謎ですね。MCバトルが流行ってるか、流行ってないかっていうのは一番デカいと思いますけど。怨念が始めたときは、もうMCバトルが流行ってる世界というか、ブーム真っ只中だったんで」
怨念:「『とりあえず、やってみないとわからない』という感じだったので。毎月、数だけやってみようと」
正社員:「最初、電話で怨念に『イベントやろうと思うんですよ』って言われて、名前を聞いたら『凱旋MCbattle』だと。そのときはすぐ終わるだろうなというか、なんじゃその名前と思いました(笑)」
怨念:「いろいろ、意味があったんですよ。西日本から4組と東日本から4組のゲストバトラーを呼んで、それもゲストの人はいろんな地方から呼びたいなと思ってたんです。ライブだけでなくバトルにも出てもらい、優勝して地元に帰ってもらう……。それで『凱旋』がいいんじゃないかと。あとは字にしたときの語呂ですね」
―― 一般のエントリーはSNSで募ったということでしたが、ゲストのブッキングには苦労されなかったんですか?
怨念:「最初はブッキングも歳が近い人だけを呼んでいました。そこはやりやすかったですね。最初出たのはK-razy、キョンス、ゆうま……。T-TANGG、MASA、9for、ワイジーニアスですね。
正社員:「今、怨念が挙げたメンバーとかも僕は気づけなかったですね。その前にも戦極で戦極スパーリングっていうイベントを無料でやって、そこに集まっていたメンバー、それぞれが各々でイベントもやってたのかな……。そこの団結力というか、シーンの人気に気づけなかった」
――初めから集客に成功したのは、そういう嗅覚もあったのかもしれませんね。
正社員:「『あいつイケてるよね』とか、『あいつがいるなら行こう』とかあったのかなと。そこの人選もよかったんじゃないですかね。あとは、新しいMCバトルのイベントがずっとなかったんで、時代が求めている感はありましたね。若いコがやるイベントもなかったので」
怨念:「MCバトルのイベントで若いコがやってるのはなかったですね。俺は自分でイベントをやる前から、ずっとスタッフで入って何年も見ていたので、現場に入って苦労するということはなかったですね。見てわからなければ周りに聞いてましたし、スゴいスムーズというか会場の人とも知り合いで、やりやすかったですね。戦極MCBATTLEから、まんまノウハウをもらってるので」
正社員:「そしてそれが最終的に“仮想敵”になってしまってるという(笑)」
開始当初から盛況だった理由
火花を起こした同世代の団結力
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この連載の前回記事
2020.03.19
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