留学生は惜しくも現地学生たちと授業をともにすることができず、私のように一人しかいない専攻はマンツーマンで、法学を学ぶ二人は二人で授業を行うなどしていた。
我々のような専攻を学ぶ現地学生とは会う機会すらなかった。それも残念だった。私はいつか、朝鮮からきた学生たちと朝鮮の小説について討論する機会があることを期待する。いつになるかはわからないが。
親切な教員たちとは、興味深い対話をたくさん行った。彼らのほとんどは外国人(特に“西方人”)を教えたことがないが、非常に心根がよく、学生によくしてくれる人々であり、たった一人の学生である私にも好奇心や厚意を寄せてくれた。私は情の厚い彼・彼女らのことを今だに記憶している。
卒業するためには卒論の審議を通過しなければならない。学業のできない本科生たちの多くは先生に頼んで書いてもらう(部分的に手伝う学生もいる)。
「総書『不滅の導き』中 長編小説『2009年』で用いられた成句についての研究」などといった内容は、すべて教員が書いた後に学生の名前がつけられる。
とある学生は、報酬として先生のために言語学関連書を翻訳するが、ほとんどはそのまま現金を渡す。ある中国人留学生の博士論文が本として出版されたが、私がそれについて言及したとき他の留学生が「あのバカが自分で書いたはずがない」と言ったのを覚えている。金日成総合大学の教員たちは本当に苦労が多い。
修士、博士生たちは論文のほかに小論文を書かなければならない。私の場合、卒業前に5編を書かなくてはならなかった。小論文は最短数ページで、「金日成総合大学学報」、「経済研究」などの「対外出版物」にて発表される。
学究熱が高かった私は、大学の図書館で本を読めると期待した。しかし金日成総合大学に到着したとき、対外事業部の先生に聞くと我々は科学図書館や本館の電子図書館を使ってはならないという。他の留学生に聞くと彼らは図書館の位置すら知らなかった(しかしこれは彼らが勉強に関心がないからかもしれない)。
同宿生(寄宿舎で生活する現地学生)に図書館がどこにあるか聞いた友人は「教えられない」と答えられたという(大学のホームページを見ればわかるが)。私は許可なく二つの図書館に入った外国人のことを聞いたことがあるが、本の貸し出しは拒否されたという(しかし数年前に行くと少し自由になっていた)。
ほかの友人からは、電子図書館で朝鮮の本や雑誌、学術誌を検索しUSBにダウンロードできると聞いたが実際にやってみたことはない(もしやったら、国家安全保衛省からもう一つ怒られるネタができていたことだろう)。そこでも学生たちの成績を閲覧できると聞いたので、我々を監視する同宿生たちの成績を検索し彼らをからかってやりたかった。できなかったのが惜しい。
我々が使っていた本もほとんどが特別な「留学生用(表紙にもこのように表示されている)」教科書だった。我々は現地人用の書店に入ったことはなかった。
こんな規則もおかしな状況を作り出した。私が「文学作品構成論」という授業を受けた時、教員は自身の書いた本からそのまま教えてくれた。
私は試験に備えてその本を買いたかったが、それは対外用ではなかった。本は明らかに純粋な文学理論のようなもので、特に敏感な内容ではなかった。もともと、朝鮮の神秘主義と出版物に対する厳格な規則がある。
私は外国人研究生が図書館に出入りし、現地の教員と学生たちと自由に討論できる日を期待する。そうなった日に、私は金日成総合大学に戻り、修士過程を全うしたい。