パンデミックという現実の“その先”を描くゾンビ映画『CURED キュアード』から学ぶべきものとは?
『CURED キュアード』が劇場公開されている。詳しい理由は後述するが、本作は新型コロナウイルスの脅威にさらされた現実の世界、そして“その先”をも想起させる、タイムリーと言う他ない作品だったのである。まずは本作における3つの“恐ろしい特徴”を示しつつ、今観るべき理由を記そう。
この映画の最大の特徴は、ゾンビが治療された後の世界を描いているということにある。ウイルスに感染しゾンビと化したものの、治癒して人間に戻った者たちが“回復者”として認定され、社会復帰を目指すという視点から物語が始まるのだ。
それなら万事解決じゃないか……と思うかもしれないが、この回復者たちは、ゾンビだったときの忌まわしい記憶を保持している。自身が血肉を欲し、親しい人をも喰らっていたことまでも思い出し、時には悪夢にうなされるのである。
「一度ゾンビになってしまったら元には戻らない」というのはゾンビ映画における“お約束”であるが、この『CURED キュアード』ではそれをあえて破っている。これだけだとゾンビの危険性や悲壮感、何よりも恐怖が提示できなくなってしまいそうなところだが、本作では“かつてゾンビであった記憶”こそが恐怖につながっている。これは、なかなか斬新なアプローチだ。
考えてみれば、身体的な傷や病気は治療により治せるものもあるが、記憶とは往々にして忘れることはできても“治らない”ものだ。劇中の回復者の姿はPTSDを発症した帰還兵たちも彷彿とさせるし、戦争でなくとも誰もが多かれ少なかれ忌まわしい記憶を持ち、思い出すたびに苦しんでいる。その普遍的事実を、ゾンビという素材を通じて残酷にも映し出している内容とも言えるだろう。
かつてゾンビだった回復者には、その忌まわしい記憶以外にも大きな問題が降りかかる。それは、迫害と差別だ。
治療に成功した回復者たちは社会復帰をしようとするのだが、市民が彼らに対し激しい抗議デモを行っている他、住居に落書きをするなどの直接的な嫌がらせもしている。果ては、その回復者たちの排除をもくろみ、強硬派による襲撃事件も続発していくのである。
回復者である彼らが再びゾンビと化し、人々を襲う可能性がないとは言い切れない。しかも、かつてゾンビになった者のうちの25%は、いまだに治療ができていない“感染者”として隔離・監禁されているという事実もある。そのような社会状況および不安があるからこそ、非人道的で理不尽な迫害と差別、はたまた暴動や抗争につながってしまうのだ。
言うまでもないことかもしれないが、似たような迫害と差別は世界中で、人類の歴史上幾度となく起こり続けていたものだ。映画の舞台であるアイルランドでも、宗教的対立や差別問題による北アイルランド紛争は勃発していた。現実の社会問題や人間の浅ましさを“寓話”として描くというのはゾンビ映画ではよくあることだが、この『CURED キュアード』は特にそれを強烈に風刺して描いているのである。
3月20日より、ゾンビ映画1:ゾンビだった時の記憶が残る設定が恐ろしい
2:理不尽な迫害と差別が恐ろしい
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