福島第一原子力発電所4号機注水車からの放水(写真/東京電力)
原作者の
門田隆将は「福島の人たちに『日本が救われたこと』を私は描かせてもらいました」と述べている。
現場で命を懸けた福島出身の人たちが大勢いるのは事実だ。しかし、
東電が事前に他社並みの対策をしておけば、そんな危ないことをする必要はそもそもなかった。「
無能な東電に、命を捧げさせられた福島の人たち」というのが真の構図だろう。
映画の中で、佐藤浩市(当直長)は、渡辺謙(吉田所長)にこう問いかける。「俺たちは、何か間違ったのか」。吉田は、それに何も答えなかった。
事故の捜査をした検察幹部は、ジャーナリストの村山治の取材にこう述べている。「吉田さんはまさに、事故現場のヒーローだったが、(津波対策が議論された際に積極的に動かず)そのまま福島原発の所長になった。そして、そんなこと(巨大津波による浸水)は起こらない、と思っていたことが、そのまま次々に起きた。(津波対策をとらなかったことが)心に響かないはずがない。(対策をとらなかった当事者として)忸怩たる思いがあったから、よけいに頑張ったのではないか、という気がする」
吉田は、2012年8月、福島市で開かれた講演会にビデオ録画で登場し、以下のように述べている。
「
現場に飛び込んで行ってくれた部下に、地面から菩薩が湧く地湧(じゆ)菩薩のイメージを、地獄のような状態の中で感じた。私はその後ろ姿に感謝して手を合わせていた」
部長時代に津波対策を先送りしてしまったがために、危険な現場に部下を送り込むことになった。そこに菩薩の姿を見た。その心情を全くカットしたことで、映画における吉田の描写は、とても平板になってしまったように見える。
映画は、
事故の本当の姿を、現場の美談で隠してしまった。こんな単純な形で人々の記憶に残ることを、吉田も望んではいなかったのではないだろうか。(敬称略)
<文/添田孝史>