『マイ・ブロークン・マリコ』を読む壊れた私たち。SNSで死が拡散される時代に。

親友の死をTVで知る主人公

 『マイ・ブロークン・マリコ』の主人公シイノもまた、SNSではないが、テレビを通じてある人間の死を知る。それは親友マリコの死だった。親友だった、先週も遊んだばっかりだった、にも関わらず、シイノは自殺のことは何も知らなかった。  二人は親友という特別な関係であったはずだ。現にシイノは、何度も生前のマリコを救おうとしていた。マリコのDV彼氏に向かってフライパンを振り回したことさえあった。それでもマリコは、敢えて痛めつけられることを選ぶかのような行動をとる。DV彼氏に会いに行き、腕を折られる。「あんた感覚ぶっ壊れてンじゃねえの…!?」シイノが思わずそう口に出すと、マリコはこう返す。「そーだよ わたしぶっ壊れてるの」。結局、マリコは自殺した。親友であったはずのシイノはそれをテレビで知る。親友でありながら、シイノは数多くの「死」を消費する側のうちの1人にしかなり得なかったのだ。  しかし、シイノはそれを許さなかった。「私が助けてあげられなかった…気づいてあげられなかった…私のせいだ…」などのお涙頂戴もののキャラクターにありがちな内省的なセリフを、この主人公は吐かない。そのかわり、包丁を手に取って、親友を強姦した父親に復讐しに行く…のではなく、遺骨を回収するのだった。そして、マリコとの記憶を探り、2人で昔行きたかった場所へと旅をする…マリコの遺骨と共に。  主人公の動機は、復讐にも内省にもあるのではない。確かに親友ではあったが、上手くいっていなかった側面もあるマリコとの関係性を結び直そうとすることがシイノの動機だ。だから、主人公は旅の中で、マリコにLINEを送る。「送れるのに もうあんたには通じてないんだよねェ」。居酒屋で愚痴る。「あんたにはあたしが いたでしょうが!」。断崖で黄昏る。「どんなに心から心配してみせたって そんなもんじゃどうにもならない所にあの子はいたんだよね」  親から虐待を受けていたマリコは、主人公には想像しようがない、触れることのできない痛みを抱えて生きていた。マリコは生前から、どうにもならない所にいたのである。しかしそれは、マリコが死んでも変わることがない。主人公がどれだけマリコの為に行動しようとも、遺骨は何も語らない。  主人公は叫ぶ。「あたしがまだここに居るのに 死んでちゃわかんないだろ!」  果たして二人は結ばれるのか。

賛否両論を呼んだ結末(ネタバレあり注意)

 ここから先はネタバレになってしまうので、みたくない人はここで読むのをやめてほしい。  物語の最後、主人公は旅を終え、自宅に帰る。ドアノブに荷物が吊るしてあった。以前父親を襲撃し遺骨を奪ったとき、二階から飛び降りたので、パンプスをそのまま忘れており、それをマリコの義母が届けてくれたのだ。…主人公に宛てた、マリコの手紙と共に。  何が書いてあるんだ?遺書か?自殺の理由は?どんでん返しか!?読者の私たちにカタルシスを寄越せ!!と、気になってしまう。ページをめくる手が止まらない。そして…  「…うん」  手紙の内容は一切明かされないまま、物語は終わる。分かるのは、主人公がその手紙を抱き寄せるようにうずくまっていること、そして「…うん」と小さく返事をしていることだけである。結局何もわからないのだ。…ネタバレしてもしなくても同じだったかもしれない。  なぜ、このような読者の期待を裏切りかねない終わり方をしたのだろうか。(Amazonの批判的なレビューは主にこのオチに向けられている。)作者が単に他のオチを何も思い浮かなかった可能性もある。あるいは、大事なことをあえて明かさないことで読後感を高めたかったという狙いもあるかもしれない。しかし、そんなことよりも重要なのは、「…うん」の一言である。この一言で、主人公が何かを肯定したことがわかる。また、手紙と主人公が向き合う絵は、マリコが主人公に向き合い抱き寄せているようにも見える。マリコと主人公は、互いに向き合い、お互いを肯定したのだ。2人は結ばれたのだ。それがわかるだけで物語としては完結している。  批判的なレビューもあった中で、多くは好意的なレビューだった。中でも、「感動した!」的なコメントは特に多い。なぜ感動できるのか。物語の中で一貫していたのは、マリコが自殺したシーンやその直接的な死の理由がいっさい描かれないということだった。もしかしたらその理由は手紙の中に書いてあったのかもしれない。でも、それは描かれなかった。死が不特定多数の人に晒され、弄ばれる時代だけれど、死は2人だけのものになった。死が容易に拡散される時代の中だからこそ、それを拒んだこの漫画は私たちの胸を打つのかもしれない。 <文/田中宏明>
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