香港の民主化運動に身を投じたのは、わずかに15歳のとき。’12年の反愛国教育運動(中国国民として愛国心を育成する国民教育の導入に抗議する運動)が、彼女の事実上のデビュー戦だ。
行政長官選挙への普通選挙制の導入を求めて‘14年に起きた雨傘運動では「民主化の女神」と呼ばれ、数多くの海外メディアに登場。同い年の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)とともに学生運動のリーダー的存在として活躍する彼女を、ツイッターやメディアで目にしてきた人も多いだろう。彼女は、非民主的な香港の政治機構を”ぶっ壊そう“と活動し続けてきたのだ。
そんな彼女は8年間にわたる政治運動で、何度となく香港政府・警察から不当な扱いを受けてきた。’14年の雨傘運動で人生初の逮捕を経験。‘17年にも香港返還20周年式典を前に、北京政府が香港に送ったゴールデン・バウヒニア(ハカマカズラ科の植物)像を黒い布で覆う「ブラック・バウヒニア行動」を決行して、公衆妨害罪で逮捕されている。3度目の逮捕劇は、逃亡犯条例改正案をきっかけに起きた大規模デモ真っ只中の昨年8月30日のこと。その2か月前にデモ隊が警察本部を包囲したことを受けて、その場にいたアグネスは「無許可のデモを扇動した」容疑をかけられたのだ。
’18年には立法会(日本の国会に相当)補欠選挙への立候補を表明したものの、選挙を戦うことさえできなかった。彼女が所属する政党「デモシスト(香港衆志)」が「民主自決」を掲げ、住民投票を経て民意を得た場合には香港独立も辞さずという姿勢であったことから、「香港基本法第一条(香港は中国と不可分の部分である)に反する」として、選挙管理委員会から立候補資格の停止を言い渡されたのだ。
「今の香港で私が議員になる方法はないんです」
民主派が8割超の議席を獲得した昨年の香港区議会議員選挙の直前に、アグネスが漏らした言葉だ。
その区議会議員選挙には、デモシスト事務局長で彼女の盟友ともいえるジョシュアが立候補を表明していたが、同じく選管から立候補無効を言い渡されている。このとき、政治的な理由で無効になったのは、ジョシュアただ一人だった。
「実は’16年につくったデモシストは、いまだに政党として認められていないんです。厳密にいえば、香港には日本の政党のような仕組みがありません。いずれの政党も会社を設立して、その会社を政党として運営しています。しかし、香港政府は『有限会社デモシスト』として登記することさえ許可しない。完全な政治弾圧です。だから、異なる名前の会社をつくって口座を用意し、デモシストという名の政治運動を行っているんです」(アグネス)
法的に政党として認められない組織の一員として、政治運動を続けることは容易ではない。親中派の政党はもとより、議会で一定の議席を握る政党には大口支援者が少なくないが、デモシストの支援者は一般市民に限られるのだ。
「だから、六四(天安門事件の追悼集会)や7月1日(香港返還式典)に合わせた街頭活動で寄付を募る。100香港ドル(約1400円)単位の寄付を積み上げて、1年間の活動費をまかなっているんです」(同)
デモシストは数ある香港の政党の中でも人気政党だ。「比較的多くの寄付が集まる」という。それでも、「報酬が発生するのは、SNSなどのメディアの管理を行っているフルタイムのスタッフや、デザイン業務などに携わっている一部のスタッフのみ。常務委員を務めていた時も含めて、私は一度もデモシストからお給料をもらったことがない」(同)。
過去には「アメリカからお金をもらっている」「CIAのスパイ」などの根も葉もない噂を立てられたが、実際のところは貧乏学生。日本のアニメやアイドルにハマるオタク気質のアグネスだが、「高画質で見たいのに、お金がないからNetflixは(画質の劣る)一番安いプラン」だとか。
そのため、彼女には実家近くのステーキレストランやカフェ、家庭教師のアルバイトなどをしながら政治運動を続けていた時期がある。’16年9月の立法会選挙でデモシストから出馬した羅冠聡(ネイサン・ロー)が史上最年少当選(当時23歳)を果たしてからは、ネイサン議員の政策研究補佐として収入を得ていた時期もある。
だが、一連の政治運動で彼女の生活が安定することはなかった。