©2020 hiroki kawai SPACE SHOWER FILMS
現在、渋谷のシアター・イメージフォーラムにて “ろう”の写真家、齋藤陽道さんと生まれたばかりの第一子樹君や同じくろうの写真家の妻の麻奈美さん、そして七尾旅人さんなどのアーティストたちとの日々を追った
『うたのはじまり』が公開されています。
1983年生まれの齋藤さんは、音声で言葉を覚えた後、高校進学のタイミングでろう学校へ入学。手話を取得した齋藤さんは20歳で補聴器を捨て写真を撮り始めます。2010年に第33回キャノン写真新世紀優秀賞受賞した後、自身の個展や写真集を発表する傍らMr.Children、窪田正孝さんなどのアーティスト写真を手掛けるなど幅広い分野で活躍、2018年には自身の体験を綴った『声めぐり』(晶文社)、『異なり記念日』(医学書院)を同時刊行。
映画『うたのはじまり』は、そんな齋藤さんに、生まれたばかりの樹さんへふと口ずさんだ「子守歌」がきっかけで、苦手だった「うた」に対する変化が芽生えた様子を捉えています。監督は、作家の古川日出男さんらの朗読劇「銀河鉄道の夜」の活動を追った『ほんとうのうた』(14)や七尾旅人さんのライブ映像作品『兵士A』(16)など音をテーマに作品を世に出し続けて来た河合宏樹さん。今回は主に河合監督に映画の制作の経緯や本作に寄せる思いなどについてお話を聞きました。
――河合監督は、なぜ齋藤陽道さんを被写体にして『うたのはじまり』を撮影しようと思ったのでしょうか。また、お二人の出会いについてお聞かせください。
河合:齋藤さんと出会ったのは、2014年でした。下北沢の富士見ヶ丘教会でCANTUSという聖歌隊の公演を作家の飴屋法水さんが演出、出演していたのですが、そのライブに齋藤さんも出演していました。僕はその公演の記録撮影担当として現場にいたんですね。
河合宏樹監督
当時から飴屋さんの追っかけのように彼の公演を撮影させて頂いていて、そこで初めて齋藤さんと出会ったんです。最初は齋藤さんがろう者とも写真家とも知りませんでした。公演内容を体験し、その場で彼の境遇を知っていきました。
――齋藤さんと出会われたのは偶然だったんですね
河合:その後、Twitterでダイレクトメールを送って仲良くなりました。その時、齋藤さんは『写訳 宮沢賢治』(ナナロク社)というテキストと写真からなる本を作っていて、僕は作家の古川日出男さんやアメリカ文学の研究者の柴田元幸さんらが被災地を中心に上演した朗読劇「銀河鉄道の夜」の活動を追ったドキュメンタリー映画『ほんとうのうた』を撮っていました。齋藤さんがDMで「僕たちは根底でつながる部分があるのかも……」と言ってくれたこともあって連絡をとるようになりました。
――学校の音楽教育で歌が苦手だった齋藤さんが第一子の樹さんの誕生で子守歌を歌うようになります。その様子がとても感動的なのですが、ドキュメンタリーの内容を想定して撮影し始めたのでしょうか。
河合:震災後の熊本を一緒に旅行したり、家族で鹿の解体に行ったり、写真家である彼の撮影現場を見学したり、齋藤さんとたくさんの時を共にしました。色々とテーマは思い浮かんだのですが、最初はまだ映画化するとは考えていなくて。
飴屋さんとCANTUSとの公演内容が衝撃的だったので、まずは、自分の中で、その公演の再解釈が、齋藤さんを通じてできたらいいなと思っていました。
――映画の中にもCANTUSの歌唱シーンが登場しますね。飴屋さんの公演のどのような部分に衝撃を受けたのでしょうか。
河合:飴屋さんが齋藤さんに向かって「聴こえないってどういうこと?耳付いてるじゃん」というセリフを発するシーンがあるのですが、齋藤さんのような当事者と真剣に向き合おうとしたら、まずは純粋に自分の疑問をぶつけ合う。そして、自分と相手が異なることを認め合う。決して生ぬるい優しさや気の遣い合いの無い、尊敬がそこには生まれると思います。
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そうした、一対一で人間同士が話す、という根底の部分から関わりあわないと、本当のコミュニケーションは生まれないと感じましたし、教わりました。そういうことが現代では忘れがちになっているのではないかと。
「うたのはじまり」は「うた」の根源を探した映画でしたが、改めて見ると、コミュニケーションや人と人との関係を根源から見直す、そういったきっかけの映画になるのではと感じています。