サインをしなければその時点で不法滞在、という入管の“脅し”
ところがその特例期間が切れるわずか2日前、姉妹は東京出入国在留管理局(当時は東京出入国管理局。以下、東京入管)の呼び出しに応じて出頭する。そして、担当審査員から、定住者ビザの付与は「不許可」と告げられた。理由は2つ。
一つが、どちらも「学生という身分では、経済的に不安定である」ということ。もう一つが「日本滞在に必要な保証人が、血縁関係のない者だから」ということ。この理由にダクシニさんは納得ができなかった。
「私は奨学金も受給しているし、授業料免除も受けています。その証明書を提出したのに、『経済的に不安定』との判断は不合理だと思いました。保証人だって、なぜ血縁関係のあるスリランカ人でないとダメで、昔からの知人である日本人ではダメなのでしょう」
さらには「出国準備期間」という在留資格を受け入れることに同意するよう、サインを要請された。これは、本国に帰るまでの猶予期間として与えられるビザだ。期間はわずかに30日間。ダクシニさんはその要請を受け入れることができなかった。
「こんなビザを受け入れることはできません!」
しかし、入管は“脅し”ともとれる言葉を発した。
「サインをしなかったら、その時点で不法滞在になります。そうなると警察を呼ぶことになりますよ」
この言葉に、ダクシニさんは泣く泣くサインをした。姉妹には退去強制令書が発令され、11月15日から12月15日までの30日間が「出国準備期間」として与えられた。その1か月はとてつもなくきついものだったという。
「在留資格がなくなったことで、住民票がなくなりました。私は“日本に存在しない人間”になったんです。健康保険証もなくなるから病院にもかかれない。アルバイトもできなくなりました」
2019年11月18日、木下さん(右)とダクシニさん(左)の対談
それでも姉妹は諦めなかった。「定住者ビザ」の再申請と同時に「留学生ビザ」も申請した。
「もう失うものは何もない。これでダメだったら裁判をしよう」
そして、2017年12月14日。出国準備期間の終わる前日、ようやく「留学生ビザ」が下りたのだ。綱渡りのような1年だった。ダクシニさんの姉は就職先が内定し、2019年4月からは新たに「就労ビザ」を獲得して就労した。
だが、ダクシニさんはいまだに納得ができないという。
「親の失敗が原因とはいえ、それが一家全員に帰国命令を出すほどの過ちなのでしょうか。誰にも失敗はあります。その救済制度がないことが問題だと思うんです」
まだ21歳のダクシニさんには夢がある。大学院にも行きたい。違う国にも留学したい。だが日本への留学生である以上、他国に留学はできない。
市民団体「入管問題救援センター」の代表を務める木下洋一さんは、元入管職員。その木下さんが2019年11月18日、一般市民向けに「入管問題とは何か」というセミナーを開催した。そのゲストスピーカーとして登壇したのが、ダクシニさんだった。
ここで書いてきたことは、彼女が木下さんとの対談で語ったものだ。
「私自身を外国人と意識するのは、鏡での顔を見た時だけです。5歳のときから日本で暮らしてきた私の、生活の土台は日本です。その私がなぜ今『留学生』として扱われているのでしょう。私の妹は日本で生まれて、日本語しか話せません。なのに、なぜ当時9歳の妹は母国の日本から他国へと送られたんでしょう」