ある日突然、在留資格が剥奪される。不安定な外国人の立場
スリランカ国籍のダクシニさん
2019年は、法務省の出入国在留管理庁(以下、入管庁)が管轄する収容施設で起きている実質「無期」ともいえる長期収容問題、それに起因する集団ハンガーストライキ、加えて、餓死や自殺、わずか2週間だけ仮放免(一時的に収容を解く措置)しての再収容など、入管問題が広く報道された年だった。
日本には入管庁の入国管理施設が17か所ある。このうちの9施設で、2019年6月末時点で1253名の外国人が収容されている。最多が東京出入国在留管理局(東京都港区。以下、東京入管)の425名、それに次ぐのが牛久入管の316名だ。収容されている外国人には在留資格がないか、付与されていない。
大ざっぱに説明すれば、牛久入管ではその3分の2が祖国での迫害を逃れ日本で難民申請をした人たちだ。だが、難民認定されなかったため「退去強制令書」(出身国への送還命令)が出されたが、還れば迫害が待つために帰国を拒否。「本国送還の条件が整うまで」との前提で収容されている。残り3分の1は、在留資格があるがオーバーステイしたなどで収容されている人たちだ。
「何のルール違反も犯していなければ、在留資格がある外国人は日本で安心して暮らしているか」というと、そうとは言えない。ある日突然にその資格が剥奪され、本国への退去命令が出される事例もある。
スリランカ国籍をもつダクシニさん(21歳)は現在、国立千葉大学3年の女性だ。来日は2003年、5歳のとき。父が就労ビザを取得し、ダクシニさんは、母、姉(24歳)、そして日本で生まれた妹(12歳)とともに「家族滞在ビザ」を付与されてきた(年齢は現在)。
父は車の部品の輸出業務に就いていたが、2012年に独立を決意。新たに「経営・管理ビザ」を付与された。だが独立はしたが、税金も納められないほどに業績は芳しくなかった。
「おそらくは、それがマイナスポイントになったのかも……」とダクシニさんは振り返る。2017年3月のビザ更新手続きで、入管は家族全員の在留資格を取り消し。「3月中の帰国」を命じた。
父と母と小学生の妹は、命令に従いスリランカに帰国した。両親は、その翌月に千葉大学に入学するダクシニさんの晴れ姿を目にできなかったのだ。
ダクシニさんと姉は「家族滞在ビザ」の更新時期が8月だったため、8月までは日本に残ることができたが、その5か月間は短かった。いかにして日本に残れるかを必死で模索した毎日だった。
姉妹は4月、「定住者ビザ」を申請する。そして、定住者ビザの審査中に当初の退去予定だった8月が過ぎたことで、姉妹には11月半ばまで滞在できる「特例期間」が与えられた。