金日成総合大学の留学生宿舎の前で、留学生たちと
2019年7月4日、北朝鮮の金日成総合大学に通うオーストラリア人留学生アレック・シグリー氏が国外追放された。
朝鮮中央通信はシグリー氏が「反朝鮮謀略宣伝行為」を働いたとして6月25日にスパイ容疑で拘束、人道措置として釈放したと発表。北朝鮮の数少ない外国人留学生として、日々新たな情報発信をしていた彼を襲った急転直下の事態に、北朝鮮ウォッチャーの中では驚きが走った。
当連載では、シグリー氏が北朝鮮との出会いの経緯から、逮捕・追放という形で幕を下ろした約1年間の留学生生活を回顧する。その数奇なエピソードは、北朝鮮理解の一助となるか――?
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前回、紹介した)95%の中国人留学生を除外すると、他の国籍の長期留学生は数人のみである。
そして博士課程であった私を含む数人以外は、すべて本科生であった。ラオス人2名、ベトナム人5〜6名、カンボジア人1名、モンゴル人1名、カナダ人1名。そして、オーストラリア人1名(私)だけだ。
アフリカ、東ヨーロッパなどから来た学生たちは過去に多かったが、現在はいない。ラオス、ベトナム、カンボジア、モンゴルから来た学生たちはすべて、該当国の平壌駐在外交官と大使館職員の子供達で、大使館にしばしば出入りしたり、大使館で暮らしていたりもする。
数年前、フランスから来たある女学生が平壌に長期滞在していたが、彼女は中国の男子学生と恋に落ち、卒業後に中国で暮らすようになった。
もちろん、特別に珍しいのは西洋から来る学生だ。私がいた時は4人しかいなかったが、私とカナダ人、そしてスウェーデンから来た半年・1年間の実習生2人だった。
私の知るカナダ人学生は、おそらくほぼ確実に、北米から来た最初の在北留学生である。彼の人生は非常に興味深い。「統一の化身」というニックネームで呼ばれていた彼は、ソウルで生まれた韓人であり、幼い頃にカナダに移住してカナダ国籍を取得した。
そして彼の両親が平壌科学技術大学で働くため平壌に移住し、彼は平壌の文繍洞外交団にある平壌外国人学校の高等部を出た後、金日成総合大学の学士課程に入った。彼は平壌で10年ほど暮らし、イントネーションは平壌とソウルの中間くらいである。
彼は心根が非常に優しく、面白いエピソードも多いのだが、また別の機会に紹介したいと思う。
ほとんどの留学生は夏休み、冬休みに本国に帰る。しかし2019年始めに卒業したラオス人学生二人は5年間ずっと平壌にいた。彼らはその間、丹東に行ったことも一度もなかった。そのせいか、一人はほとんど毎日大同江ビールの瓶を数本も空け、アルコール中毒となった(在北留学生の間で、このような現象は珍しくない)。
もちろん、性格も少し風変わりになった(これも環境のせいであり、個人をどうこう言うわけではない)。