―― 中村さんは野党共闘の枠組み作りのために積極的に動いています。その原動力は何ですか。
常井:それは安倍一強政治に対する反発です。中村さんは司法権力の暴走によって逮捕されたという意識を持っているので、安倍政権が権力を非抑制的に行使していることに対しても批判的です。そのため、安保法制や共謀罪に賛成せず、野党の側に回ったのです。
ところが、野党と関わるようになると、野党があまりにも子供じみた政治を行っていることがわかり、虚しさを感じたと言っていました。彼らは口を開けば以前同じ政党にいた仲間たちを罵り、一緒の席に着きたくないと意地の張り合いを繰り返している。これは政治家ではない。安倍政権に対抗できる勢力にはなり得ない。そこで、「昔の政治」を知っている自分が「保守の知恵」を伝授する必要があると考えたそうです。
ここで言う「昔の政治」とは、「竹下派の政治」と言い換えてもいいでしょう。戦後政治を振り返ると、自民党政権が改革を強引に進めたり、党内がゴタついたりすると、それに対する安定装置として竹下派、かつての田中派の党人派たちが水面下で動いた。彼らには「一致結束・箱弁当」や「汗は自分で。手柄は人へ」の精神がありました。
現在の安倍政権で言えば、二階俊博さんが安倍総理と違ったカラーを出すことで党内融和を図り、参議院ではこの間亡くなった吉田博美さんが安倍総理に苦言を呈していました。二階さんはもともと竹下派ですし、吉田さんは金丸信の秘書を務めていました。
いま中村さんの存在感が浮上しているのは、野党の中に安定装置がないからです。かつて民主党が政権を取った過程でさえ、剛腕・小沢一郎だけでなく、渡部恒三さんや石井一さんなど竹下派出身のベテランが存在し、その役割を老獪に果たした。その意味で、これまで古いと見られてきた「竹下派の政治」を見直す時期に来ていると言えます。
―― しかし、野党共闘がそれほどうまくいっているようには見えません。中村さんはもともと自民党に属していたのだから、野党を立て直すよりも、自民党を立て直すことに注力したほうがいいのではないですか。
常井:自民党には中村さんのような役割を果たせるプレーヤーがまだそれなりにいますので、それほど重宝されないでしょう。
中村さん自身、野党共闘がそう簡単にいくとは考えていません。常に「最短距離」で結果を急ぐ小沢さんの手法とは対照的で、本格的な政権政党が出来上がるまでには10年はかかると見ています。
そのときに問題になるのが、やはり野党の若い議員たちが中村さんのやり方を「古い政治」と考え、拒絶する可能性があることです。実際、中村さんが野党の若手議員が集まる勉強会で熱弁を奮っても、みなキョトンとしている。令和の政治家たちが「中村喜四郎」を時代遅れと捉えるか、それとも古今東西に通じる政治の美徳として学ぶのかによって、野党結集の行く先は大きく左右されると思います。
(12月24日、聞き手・構成 中村友哉)
常井健一(とこい・けんいち)●1979年生まれ。ライブドア、朝日新聞出版、オーストラリア国立大学客員研究員を経て、2012年に独立。著書に『決断のとき トモダチ作戦と涙の基金』(小泉純一郎氏との共著)、『小泉純一郎独白』など多数。