港区を徘徊していた時は、友人らと3人で行動を共にし、業界問わず様々な大人たちと交流を図って親密な関係を築いていったという。
3人で動いていた分、人脈は3倍のスピードで広がり、港区を歩けば必ず知り合いに声をかけられるくらいの知名度だったそうだ。
「政治家や会社経営者、芸能人やスポーツ選手など、男女問わず本当に多様な大人たちと出会いました。人に好かれようと八方美人な振る舞いをするのではなく、飾らない自分で接することが、時には不快感を与えてしまったり、必要とされなかったりしたこともあったので、言葉遣いや人当たりの良い行動、キャラクターの作り方など現場によってスタンスを変えて振る舞うことを意識しましたね。ものすごいスピードで人脈を作った分、たくさんの失敗や成功を経験したけど、それが今でも生きているかな。『人類みな教師』と著書にも書きましたが、学校では学ばないことを教えてくれた気がします」
自分らしく、「ありのまま」のスタンスで人に接する。この姿勢だけはブレずに、多くの人と交遊を深めたねこあやさんだが、場をぶち壊すくらいの爪痕を残す覚悟で臨んでいることも吐露した。
「大半の女性は、位の高いお金持ちの人に気に入れられようと振る舞ってしまう。私はそんな振る舞いは絶対しない。1つエピソードを話すと、口の悪いとある企業の会長に暴言を吐いたんですね(笑)どうしても我慢できなくて、どうせなら思ったことをはっきり言って別れようと思って。でも、暴言を吐いた女はお前だけだと言ってもらい、今でもマブダチの関係になっている。その人からは高校の学費を出してもらったりと色々お世話になっています。でも、暴言吐いてなければこんなことにはならなかった。常識を捨てて、現場、現場でオンリーワンになろうと思うことが大切だと思います。もちろん暴言を吐けと言っているわけじゃないですよ」
これこそ、若くして渋谷、そして六本木に代表される港区に進出し、多くの人脈を築いてきた「ねこあや流処世術」だ。
七転び八起きという言葉がある。壮絶な人生を過ごしてきたねこあやさんにとって、人生のどん底を何度味わっても立ち直り、前に進む原動力に変えてきた背景には、どのような心構えがあるのだろうか。
「生きるも死ぬも自分次第。ほっとけば人間なんとかなります。生きづらい世の中で、無理に生きようとしないこと。また、できるだけ嫌なことをせずに生きていくこと。最悪、日本は国が生活を守ってくれます。人生で失敗するような出来事があっても、諦めずにうまくいくまで絶対にやめなければ、何かは必ず起こる。よく『ねこあやさんだから成功したんでしょ』と言われますが、私も最初は万人の一人だった。誰にだって起業して成功できるし、目標を立てて挑戦することで達成できる。何でもいいからまずはやるべきだし、始めなければ何も起きない」
生まれた時は誰しもが子どもだが、大人は自分で環境を作っていくことが必要で、自分で現状を打破しなければならない。
当たり前のことかもしれないが、状況が好転するまで執着し続ける心構えが大切だと改めて感じるものであった。
YouTuberとして活躍し、今後はBtoB向けの児童福祉事業の計画も中長期で視野に入れているねこあやさん。最後に、ビジネスに携わる人に向けてのメッセージを話してくれた。
「これは私の持論ですが、ビジネスに感情を持ち出さないこと。稼ぎたければ感情を捨てろ、と言いたいですね。亡くなった元婚約者からも学んだのですが、敏腕経営者は自分の意思で感情を殺せる人が多いです。目的のためには感情を捨てろ。出したい感情があるなら、目的を達成した後に思いっきり解放しろ。この言葉を肝に命じてもらえたらなと思います」
<取材・文/古田島大介>
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている。