元実習生の不審死事件 ─ 彼女はなぜ命を落としたのか

葬儀、火葬、骨上げ

「ナンモーアージィダーファ、ナンモーアージィダーファ……」(南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏)。  9月6日、埼玉県某所の葬儀場でベトナム語の読経が響いた。この日、浄土宗寺院「日新窟」がズンさんの葬儀を執り行った。残暑とは思えない暑い日だった。遺族のホアイさんを除いた参列者は、ベトナム人男性1名(姉妹の友人)、ベトナム人女性1名(妹の送り出し機関職員)、日本人男性1名(妹の実習先の上司)、筆者の4名だった。  ズンさんがいた会社や監理団体の人間は誰もいなかった。社長は「失踪後のことだから関係ない」と言って葬儀費用の供出を拒み、ズンさんの監理団体も同じ対応だったという。それでもズンさんの同僚は葬儀に出席したいと申し出たが、会社に許してもらえなかった。外では日差しが眩しいくらいだったが、がらんとした葬儀場内は薄暗く、どこか寒々しかった。  日新窟の尼僧ティック・タム・チーさんの声に合わせて、ホアイさんも念仏を唱えた。赤く腫れ上がった目を固く瞑りながら、眉をしかめ、嗚咽の混ざった震える声で阿弥陀仏の御名を繰り返していた。「ナンモーアア、ギィ……ダーファ……」。  葬儀が終わって出棺の時間になった。葬儀社の社長は通訳を介して「どうしてもと言うなら棺の窓を開けるが、遺体の状態が悪いから見ない方がいい。きれいなお姉さんのまま覚えてあげた方がいい」と伝えた。ホアイさんは黙って頷いた。  火葬場に着いた。黒い喪服に日差しが照り返って白く見えた。火葬炉が棺を呑み込み、ゴーッという音を立てはじめた。ホアイさんは仕切り窓を叩きながら、「なんで、なんで。なんで死んじゃったの。こんなにいきなりじゃ何も分からないじゃない。ねえ、教えてよ、どうして死んじゃったの、お姉ちゃん、お姉ちゃん」と泣きじゃくった。待合室に行く途中、ホアイさんは口元を押さえて駆けだした。トイレで嘔吐してから、火葬が終わるのを待った。  骨上げの時間になった。ベトナムでは遺骨を拾う風習がないようで、ホアイさんは緊張していた。ホアイさん、友人、職員、上司、筆者の5人でズンさんの遺骨を拾った。ホアイさんは放心したように骨壺を抱えた。骨壺は日新窟で安置された後、ホアイさんがベトナムの家族の元へ届けた。その後、足利警察の捜査結果を待った。

足利警察はどこまで捜査したのか

足利警察署

栃木県警足利警察署。ちゃんとした捜査は行われたのか? (photo by Abasaa via Wikimedia Commons / Public Domain)

 ところが、足利警察の捜査は一向に進まなかった。12月になってもホアイさんの元に詳しい連絡はなかった。ホアイさんは捜査の進捗状況について足利警察に説明を求めているが、いまだに実現していない。  筆者は12月中旬、足利警察に電話で問い合わせたが、「雑誌社の取材は原則的に受けつけていない。この件に関しては他のメディアも含めて一切取材を受けつけていない」と断られた。  足利警察はズンさんの件を事件ではなく事故あるいは自殺として見ているらしいが、どのような捜査をしたのかは明らかになっていない。ズンさんに言い寄っていた上司に事情聴取をしたのか、近隣住民に聞き込みをしたのか、捜査の詳細は分からない。ズンさんの携帯電話すら「パスワードが解除できない」「個人情報の問題がある」などと言って解析ができていないという。司法解剖の結果が出るまで通常3カ月程度かかると言われているが、それがどうなったのかも分かっていない。  遺体を引き取った後、ホアイさんは「足利警察から姉のことは事故だったかのような説明を受けましたが、納得できていません……姉はああいう形で亡くなったので、事件だと思っています。もし事件だったとしたら、犯人が新しい被害者を生んでしまうかもしれない。警察の方々には、どうか、きちんと捜査してほしい。姉がどうして死なないといけなかったのか、本当のことを教えてほしいです……」と話していた。  前回、失踪した元技能実習生がどのような生活を送っているのかを伝えた。だが、失踪した元技能実習生は様々な危険に晒されている。女性となれば猶更だ。日本社会で不当に危うい立場に追いやられている人々がいることを忘れてはならない。日本社会は彼らの尊厳を守らねばならない。  ズンさんの無念やホアイさんの悲しみを思い出す度に、どこからともなく「ナンモーアージィダーファ……」というベトナム語の念仏が聞こえてくる。ホアイさんの震えた声が忘れられない。足利警察がズンさんの尊厳をどこまで守れるか、ホアイさんの思いにどこまで応えられるか、最後まで見届けたい。 ◆ルポ 外国人労働者第5回 <取材・文/月刊日本編集部>
げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。
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