合区は一票の格差を是正するために生まれたことは先に述べた。1972年衆院選について最高裁で違憲判決が出されて以降、最高裁は具体的な判断基準は明らかにしていないものの、たびたび違憲判決を出してきた。
最高裁は最大較差が1対5.00となっていた2010年7月の参議院選について「違憲問題が生じる程度の著しい不平等状態」と判断したうえで、「都道府県を単位として選挙区定数を配分する制度を採っていることが大きな理由となっているが、都道府県を単位とすることは憲法上の要請ではないから、この配分方法自体の見直しをも含めた抜本的改正が必要」と指摘した。(2012年10月17日最高裁大法廷判決)
この違憲判決を受けて、公職選挙法が改正され、2016年の参院選から合区が導入されたのだ。
この違憲判決には、都道府県を基準とする選挙区割りよりも人口比例選挙(一人一票の原則)は優先する、という価値判断がある。なぜ人口比例選挙は都道府県を基準とする区割りよりも優先されるのか。伊藤真弁護士は次のように解説する。
「
人口比例選挙は民主主義の基盤です。1票の価値(1票の持つ政治に対する影響力、政治的発言力)はどこに住んでいても同じでなければならないという要請は、憲法13条前段(個人の尊重)、14条1項(法の下の平等)、43条1項(国会議員は全国民の代表であること)、国民主権原理(前文1項、1条、56条2項)など憲法の多くの規定と基本原理から導き出されます。民主主義の発展の歴史の中で勝ち取られてきた近代憲法の基本原理と言えるでしょう。これを否定することは日本が他の民主主義国と憲法価値を共有する国だとはいえなくなることを意味します」(伊藤氏)
伊藤氏は国民主権との関係でも大きな問題があると指摘する。
「主権者の多数が国会議員の多数を選出することができるような選挙制度でない限り、国民が主権者とはいえません。小選挙区制であろうと大選挙区制であろうと比例代表であろうと選挙制度にかかわりなく、国民主権であることを標榜するなら、維持しなければならない基本的な出発点が人口比例選挙なのです。現在は人口の少ない選挙区から多くの国会議員が選出されているため、この基本的な民主主義の大前提が確保されていません。」(伊藤氏)
これに対して、自民党の改憲重点4項目たたき台素案では、参院選においては都道府県という単位を基準にすることができるとしている。そうなると、
必然的に投票価値の不平等が生じる。
これまでも一人一票の原則が厳しく要求されてきた衆議院と比べて、参議院は「地域代表的性格」があると言われてきた。これは1946年12月、参議院選挙法案提出時の趣旨説明で内務大臣が「参議院の地方選出議員は、地域代表的性格を持つ」と明言していることなどに根拠を求める。
しかし、このような都会と地方という対立図式が間違っていると伊藤氏は指摘する。同じ都道府県内、地方同士でも人口の偏在は避けることができず、格差が発生しているからだ。
「
マスコミや政治家はこの問題は都会と地方の問題として矮小化するが、それは事実に反します。2019年7月の参院選において、福井県民を1票とすると、『地方』である宮城県民は0.34票、新潟県民も0.34票。「都会」である東京も同水準の0.34票、千葉は0.37票。このように、地方間にも大きな格差があるのです」(伊藤氏)
「また、都市部においても、人口過密地域だからこそ生じる待機児童問題などに苦しむワーキングマザーなどの
地域的少数者が存在します。地域的な課題としてなぜ山間部の少数者を、ワーキングマザーのような都市部の少数者よりも優遇するのでしょうか。
何よりも、意見を尊重するべき少数者は、地域的少数者だけではありません。国民の中には少数者としてその意見を国政に十分に反映する必要がある集団は他にも無数にあります。性的少数者、貧困にあえぐ少数者、障がい者も健常者に比べて少数者と言えるでしょう。
こうした多様な少数者を無視して、
なぜ地域的少数者の意見のみをあえて尊重しようとするのか、この点に関する説得的な説明は何一つありません。地域的少数者を優遇して2倍の投票価値を与えるのなら、性的少数者にも2倍の投票価値を与えるべきでしょう」(伊藤氏)
なるほど、「都会と地方」という対立図式は分かりやすく耳触りがよいが、具体的に考察すると地方間にも歴然とした投票価値の格差はある。都道府県を基準とした区割りを導入することで、そうした地方の格差が温存されてしまう可能性が高いのだ。また、都市部の少数者の存在も取りこぼしてしまうことになる。