24時間365日営業を強いられては普通に生活することもできない。コンビニ元旦休業に向けたオーナーの悲痛の訴え
今回の会見ではコンビニ労働者にスト権があるのかどうかという話も出てきた。ユニオン側からも「必ずしもストライキという形でなくても構わない。ヘルプ制度を使うという形でも、時短営業という形でもいいので、元旦に休みを取ってほしい」との意見が述べられ、コンビニ関連労働者の闘いの厳しさを垣間見た思いがした。
確かに今年3月に中央労働委員会から「コンビニオーナーは労働組合法上の労働者には当たらない」との判断が示された。これについては東京地裁で係争中であり、法律的に言っても中労委の判断が正しいと完全に確定されたとはいえない。しかし、中労委の判断が正しいか否かという議論がどういった方向へ向かうのかには関係なしに、今回の会見を通して見えてきたのは、24時間365日の営業を強制されている現状の苦しみを訴えるオーナーたちの姿であった。彼らが「労働者」であるか「個人事業主」であるかは定かではなくても、そうした法律上の定義とは関係なく、現に生きるか死ぬかの問題を抱えながらこうして声を上げているというのは否定しようのない堅固な現実である。
「労働者には法によってストライキが権利として保障されている」という状態を、法の抜け穴をついて労働者側が不利になるよう「『労働者』として認められなければストライキという権利は保障されない」と読み替え、現実の労働者を縛る鉄鎖となすような事態はあってはならない。自らの置かれた困難で理不尽な状況を現実として訴え、そこに依拠し行動を起こす労働者の存在こそがまず何よりも尊重されるべきだ。
ちなみに永尾副委員長は会見で「法的なところで言っても、3年前に人がどうしても集まらず死にそうになった。弁護士に相談したら『命が優先だからそれは正当防衛が成り立つ。閉めていい』と言われた。そしたら本部の人間がオーナーヘルプ制度ですっとんできましたけどね」と語った。生きることすらできなくなる状況に対して抗議する行動は、それがストライキと呼ばれようと他の名称で呼ばれようと、そんなこととは関係なしに必要だ。「元日くらい休ませろ!」というメッセージは、元日すら休めない状況ではもはや生きていくことすらできない、というオーナーたちの痛切な思いである。
<取材・文/鈴木翔大>
早稲田大学在学。労働問題に関心を持ち、執筆活動を行う。