大学入試共通テスト問題。「記述式」で生じる3つの大きな問題<短期連載:狙われた大学入試―大学入学共通テストの問題点―>

一つの民間業者に任せることの危険性

 記述式で出題された問題の採点は、ベネッセ傘下の学力評価研究機構という組織が5年で61億円で落札しています。今のままではこの組織が採点をすることが決まっていますが、1年と2ヵ月前のこの時期になっても採点に関する情報は少なく、そのことが関係者に不安を与えています。  新聞の報道などによりますと、採点者を7735人集めるようですが、これが、各教科(数学・国語)7735人ずつ集めるのか、数学と国語をあわせて7735人集めるのかがわかりません。  また、採点者についても、10年以上の採点経験者がどのくらいで、緊急に集められる中で採点未経験者がどのくらいいるのかの情報も企業秘密を理由にはっきりしません。大学入学共通テストは公的な事業ですので、採点者の個人情報(氏名、住所等)以外のものは開示すべきですし、仮にほとんどの人が採点未経験となるとそこでまた新たな問題が発生します。「企業秘密」なのではなく、「まだ決定していないのでは」という疑いの声もあります。ここでは、今の段階で想定される問題点を整理しておきます。 ●情報の管理と利益相反は大丈夫なの?  大学入試の採点は、1箇所、1つの建物の中に集まり、情報が外に漏れないように厳重に管理して行います。もちろん答案を外に持ち出すことなく、出題された問題とその模範解答は採点に集まったその場で配布されます。  これに対し、共通テストの採点は、採点者に事前に問題と採点基準を知らせるようです。これは、大学入試の場合はあり得ません。もはや「採点ごっこ」のレベルであり、それによって振り回される受験生が気の毒です。  また、当然ながら「問題の漏洩」という問題もあります。大学入試の問題は、だれが問題を作成したかは大学内の人でも知らないことが多く、原則として作った人と入試委員が知る程度です。危険な情報は知る人が少ないほどよいのです。  先日の報道では、事前に問題と解答を知る人には住民票を提出させるとのことでしたが、そのようなことは全く漏洩防止には役に立たず、逆に「個人情報を集める」という個人情報を要求する案を平気であげてしまうところに多くの人が不安を感じています。もしも、事前に知る人がいるのならば、知った時点で監禁し、外部への通信手段を取り上げるくらいの覚悟必要です。  次に利益相反についてですが、民間企業ですのでこれが起こらないわけがありません。これについては、実際、ベネッセと大学入試センターの契約書の第6条に、本業務を受託する事実を利用して取引を誘引することを禁止する規定があります。ですが、先日の野党からの質問の中である資料が出てきました。 資料 この資料は、ベネッセが高校営業で使用した資料で、記述式業務のアドバイザリー契約を交わしたので優位であることをアピールするものです。なお、ベネッセ側の主張では、これは契約違反ではないとのことです。しかし、文科大臣は怒っていました。  どちらにしても、紙媒体あるいはデータの形で高校営業に残る形でここまで作成するのですから、口頭での営業ではどこまで話しているのか想像がつきます。  しかしながら、ベネッセを庇うわけではありませんが、ベネッセは民間企業ですので利潤を追求する方向に動くのはある程度はやむを得ません。これは、「犬に吠えるな」ということや「赤ちゃんに泣くな」というのと同じことです。ベネッセは強力な営業活動によってここまで大きくなってきた会社組織ですが、それほど強引な営業活動をしない民間企業であっても今のベネッセの立場であれば営業活動の中で採点業務のことは利用してしまうでしょう。逆に、この採点業務を別の会社が落札したとしても、その会社が営業の中で全く触れないのは不自然です。したがって、この問題の責任は、民間に委託する形を作った文科省にあるのです。  さらに、ベネッセ以外に採点ができる業者がいないということになれば、今後あり得るベネッセの要求に文科省は譲歩せざるを得なくなります。そうなれば、ベネッセとその後ろにいる政治家の考え方次第で日本の教育はどのようにもなるということになります。

「数学教育」への甚大な影響

●数学に対する考え方の支配  どこの塾、予備校、出版社にも突き詰めていくと同じ高校数学であっても細かなこだわり、個性があります。例えば、 ・教科書にない記号を用いるとだめ(不等号「≦」はよいが、これを「≤」と書くと×) ・分母は必ず有理化していないとだめ(1/√2は必ず√2/2と書く) ・関数f(x)の最小値を問われているときは必ず最小値を与えるxの値も記すこと など様々です。  こういう話題は大学の数学の先生達からすれば一笑して終わりですが、実際の現場では、このような本質に関係のないことで縛ったり、考え方を強要する場面があります。困ったことには、一つの組織に長くいるとその考え方が社会の標準と勘違いする人が出てくることです。  試験の解答で、「教科書にない記号を用いるとだめ」というのは、本来高校数学を教える人が注意することで、高校生に強要する話ではありません。このようなことは、高校数学を教える側の人が、大勢を相手に授業をしたり、多くの人が読む媒体に書くときに、誰でも理解できるように注意すべきことです。このような自分の注意しなければならないことを高校生にも守らせようとする高校数学教育の中にある悪癖の一つです。これが、共通テストの採点基準となると日本の数学教育に与える影響はとても大きくなります。数学的に重要でないことに目を向けさせ、重要なことから目をそらすことが一社の基準で行われてしまいます。  共通テストとは直接は関係がないですが、このようなことは検定教科書にもあり、例えば、数学Iの「データの分析」という分野で、1社の教科書だけがエクセルを本文の中に取り入れています。この教科書会社が教科書の中でエクセルに触れることは構いませんが、もしも、この教科書会社の教科書しかなければ、この部分がこの教科書会社独特の考えであることは気がつかないままになり、これが日本の高校数学の基準になってしまいます。  さて、記述式の試験を実施して得られるものはないのに、これだけのデメリットだけがあり、しかも5年で61億円を税金で採点業者に支払うのですから、実施する意味があるとは全く思えません。しかし、頑なに記述式にこだわ拘り続けるのは皆さんはなぜだと考えますか?それは記述式の試験を行うと喜ぶ人がいるからではないでしょうか。もちろん喜ぶのはこの試験を受検する人達ではありません。 ★ここまでのまとめ★ •共通テストの「記述式」は、いわゆる国立大学が実施している「論述式」ではなく単なる「短答式」「空所補充形式」であり、マークシートで十分対応できる問題である。 •逆に、記述式にすることのデメリットは大きい。その一つは、採点の根幹にある「公平性」が確保できていないことにある。 •民間業者が採点に関わると情報の漏洩と利益相反が発生する。実際にこれまでに発生し、しかも文科省は把握していなかった。 •民間業者一社に国家的事業を任せると、どの民間業者が担当しても、その民間業者の考え方で教育が行われるようになる。 <文/清史弘>
せいふみひろ●Twitter ID:@f_sei。数学教育研究所代表取締役・認定NPO法人数理の翼顧問・予備校講師・作曲家。小学校、中学校、高校、大学、塾、予備校で教壇に立った経験をもつ数学教育の研究者。著書は30冊以上に及ぶ受験参考書と数学小説「数学の幸せ物語(前編・後編)」(現代数学社) 、数学雑誌「数学の翼」(数学教育研究所) 等。 
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