現代日本において、「個」を貫くことの困難と意義――映画『i -新聞記者ドキュメント-』をめぐって

「個」が弱まる日本社会

 こうした「個」の埋没は、メディアに限った話ではなく、日本社会全体に通底する傾向であると森監督は語る。なぜ委縮は起こるのか。オウム事件を契機として「隣人」に対する不信の感情が肥大化し、自身の身を守るための「集団化」が進んだことが大きいという。  日本の犯罪発生件数はここ20年で減少の傾向を見せており、他国と比べても治安は良好であると言えるが、報道やSNSでは、ことさらに危機をあおるような発言ばかりがクローズアップされるのが私たちの日常だ。その結果、体感として危機感ばかりが強まっているのが今の日本なのかもしれない。
©2019「i -新聞記者ドキュメント-」製作委員会

©2019「i -新聞記者ドキュメント-」製作委員会

 言うまでもないことではあるが、森監督もまた、「個」の人である。フリーでの活動を続けていること、これまで人が撮らなかった題材に挑み続けていることの次元にとどまらず、表現の次元においてもそれは指摘できる。  本作は終盤におけるアニメーションの使用や、森友・加計学園問題で火中に立たされた籠池泰典・諄子夫妻の微笑ましいやりとり、また望月記者のチャーミングな一面などにスポットを当てていることなどもあって、単なる社会問題を告発する作品には終わっていない。  フリーで活動する理由については「ドキュメンタリー映画はそもそも市場原理から外れていて、組織になりようがないから」と苦笑する森監督だが、含蓄のある作品づくりの背景には、「被写体とどう向き合うか」を意識することが大きいという。 「ドキュメンタリーにもたとえば、“ダイレクト・シネマ”といった形式はあります。ナレーションをなくすとか、カメラの存在を消すようにするといったものですね。ただ、形式がどうというのは、あくまで二の次なんですよ。目の前にいる人に対してどのようなアプローチがいいかと考えて、これまでの自分がやっていなかったような表現も生まれてきます」

「望月さんは“よく道に迷う人”」

望月衣塑子記者

望月衣塑子記者

 少し雑談のような形で望月記者の特色を聞いたところ、「よく道に迷う人」という言葉が出てきた。これは文字通りの意味ではあるが、決められた「道」、言い換えれば既定路線をそのまま歩むのではなく、自分の「道」を切り開こうとする彼女らしいエピソードかもしれない、と感じた。同時に、これは森監督の姿勢にも通底するものだろう。「望月さんや僕が特殊なのではなく、ただ、周りがこれまでやっていなかったことをやっただけ。逆に言えば望月さんみたいな人が当たり前になれば、この映画の役割は果されたことになります」  最後に、本作で登場する、森監督自身が語る「ある言葉」を紹介したい。  ――一人称単数の主語を大切にする。持ち続ける。きっとそれだけで、世界は変わって見えるはずだ森達也監督と望月衣塑子記者 <取材・文/若林良>
1990年生まれ。映画批評/ライター。ドキュメンタリーマガジン「neoneo」編集委員。「DANRO」「週刊現代」「週刊朝日」「ヱクリヲ」「STUDIO VOICE」などに執筆。批評やクリエイターへのインタビューを中心に行うかたわら、東京ドキュメンタリー映画祭の運営にも参画する。
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