この問題点に切り込んだのは前出の城井議員だ。
城井議員:「高校を借りる公開会場の場合、高校教員が試験監督責任者にはならないというふうに文部科学省から説明を私も受けました。
ただ、今日の前半の委員会質疑のやりとりでもございましたが、高校教員が責任者ではないが試験監督をやる場合があるということでありました。
そもそも、
兼業禁止であります。その場合の賃金はどうなるのか。教員の責任が重過ぎる上に、公平性が担保されません。
大臣答弁では「希望者には」ということでございましたが、学校側からすると、
生徒のためを考えると断れないというのが人情だと思います。
事実上の強制に当たるのではないでしょうか。
大臣、この高校教員が試験監督にかかわるというのは、疑義があると思いますが、この点いかがお考えですか。
萩生田大臣:「高校入試英語成績提供システムの参加資格に関して、高校の例えば英語の教員の先生が、指導上負担が増加するようなことがあってはならないと思いますし、また試験会場を設置したときに、例えば地元の都道府県の教育委員会や何かとよく相談をしていただいて、先ほど私「希望すればと」申し上げました。働き方改革が叫ばれている中で、確かに先生の心情を考えると断りづらいということもあるかもしれない。
しかし、別段責任者は民間の方から出してもらうわけですから、運営する上で、学校になれた先生方が立ち会っていただく、その希望者がいるとすれば、そこはぜひお手伝いをしていただくことは、よろしいんじゃないかと思います。
兼業の届出を出していただいて、きちんと手続を踏んやっていただくので、
「やりたくない。そんな日に出てき、 試験の手伝いをするつもりは全くない」という先生方に対して強要するようなことがあってはならないと思いますので、そこは徹底してまいりたいと思います」
いかがだろうか? 教員の労働問題というのが第一の問題ではある。萩生田大臣もそこに焦点をあてた答弁を行っている。しかし、萩生田大臣は、
「やりたくない、そんな日に出てきて試験の手伝いをするつもりは全くないという先生方」などと、ありえない想定の教師を仮定して、反対者の印象をネガティブな方向に巧妙に誘導している。これは
典型的な藁人形論法だ。
そして、萩生田大臣が意図的なのか、スルーしたのが
「公平性」の問題だ。
これには、自身が教壇に立った高校がセンター試験の会場になったことがあるという田中氏も次のようにコメントした。
「公立高校が大学の試験会場になる場合、前日は午前中で生徒が全部教室を掃除し、机もきれいにして、掲示物は全部剥がし、私物も全部持ち帰って空にするんです。通常の都立高校入試の場合は、教員が会場設営をしますけど、センター試験の場合はそこからは『大学』と腕章をした方々に建物全体を明け渡すんです。高校の教員は一切そこから、仕事があろうがなかろうが、退出させられます。試験前日の午後から、2日間のセンター試験が終わるまでは一切立ち入れません。もちろん生徒もです。
外部の人間だとか、受験生じゃない生徒がチョロチョロするというだけでも公正性が保たれないという基準で行われているんです。共通テストなんだからそうしてやるのが普通でしょう。高校の先生を使ってやる場合、もし仮に自分の教え子の試験を担当することになったら、
公正にやっても公正にやったのかなと見られてしまいます」
国会PV、田中真美氏(左)と上西教授
さらに、国会PVの動画では、城井議員が挙げた、民間英語検定試験をめぐる5つの問題を紹介した。その5つの問題とは以下の通りである。
1:制度設計の欠陥
・異なる試験を無理やり比較している
・合否判定に使わなくても受けなきゃいけない
2:試験の内容と運営の欠陥
・不公正の可能性
・採点の質の担保も不十分
・学習指導要領ともかけ離れている
3:受験生の負担
・費用負担が増加
・試験日程の配慮なし
・受験会場の格差
4:マイナスの効果
・リーディングなど、他の部分の成績が落ちる可能性
5:制度導入のプロセスで利害関係者が制度設計に関与
5番目の点については、驚くべきことに制度導入で利害関係者が制度設計に関与していることは指摘されているにも関わらず議事録が非公開だという。
これらの問題点が指摘されているにも関わらず、11月1日の記者会見で萩生田大臣は自身の責任を問われて驚くべきことにこう言い放ったのである。
「過去を振り返って、どの時点でどの判断に誤りがあったか、間違いがあったかをここで私が申し上げることに
何の生産性もない」
は? 答弁するのが仕事の大臣が何を言ってるのか? 耳を疑う発言である。