献血ポスター騒動を機に見直すべき、日本の血液事業の負の歴史と立ち返るべき「原点」

ライシャワー事件を機に売血廃止に向かう

 こうしたなか、合衆国駐日本大使であったエドウィン・O・ライシャワー博士*が、合衆国在東京駐日大使館前で暴漢に刺され重傷を負う「ライシャワー事件」が1964年3月に起こりました。ライシャワー博士は、日本での大量輸血により九死に一生を得ましたが、ウィルス汚染血のために肝炎に感染・発症し、結局1990年にこのときの肝炎が悪化した結果亡くなっています。 <*ライシャワー博士は、日本生まれの日本育ち、駐日大使時代までの半分以上の期間を日本で過ごした日本語話者で、たいへんに公正な人格でもあり合衆国最大の日本理解者であった。ライシャワー事件による肝炎発病後、公務継続困難となり、1966年に大使を辞任、帰国した。その後ハーバード大学に教授として帰任したが、日本で罹患した肝炎には生涯苦しむこととなった。晩年は、後遺症によって日本語日常会話も困難になったと語っていた。(NHK教育テレビスペシャル ライシャワー・日本への自叙伝1982年 番組中本人談による)>  それまで売血による汚染血液問題を見て見ぬふりをしてきた日本政府と医学界は、完全に面目を失い、ライシャワー事件後、半年も経たない1964年8月21日に「献血の推進について」(政府は、血液事業の現状にかんがみ、可及的速やかに保存血液を献血により確保する体制を確立するため、国及び地方公共団体による献血思想の普及と献血の組織化を図るとともに、日本赤十字社または地方公共団体による献血受入れ体制の整備を推進するものとする。)という閣議決定を行いました。  結果、日赤の献血事業が息を吹き返し、1968年には輸血用血液については商業血液銀行による売血がほぼ無くなりました。  1948年から1968年という僅か20年間に汚染血液を蔓延させた売血は、その後血漿分画製剤をはじめとした血液製剤の原料血調達で生き残り、C型肝炎禍や薬害エイズ禍を1990年代まで大規模に引き起こしています。これらもその危険性が指摘されていたにもかかわらず、日本政府は対応が徹底的に後手に回りました。薬害エイズ禍では、旧西側先進国でのなかで日本とフランスが特異的に事態を悪化させたことが知られています。  売血は、社会と医療を致命的に腐敗させます。そして日本政府にそれを抑止する能力も意思も無い事は歴史という事実が証明しています。  売血は、選択肢として絶対にあり得ないのです。

血液事業の倫理綱領からの逸脱があってはならない理由

 参考までにライシャワー事件の起きた1964年の売血相場(中抜き・ピンハネ後)は、400mlあたり1,650円でした。当時のカツ丼が一杯120円、新聞代が一月450円、公務員の初任給(大卒)が19,100円でした*。結果、昭和39年当時に輸血に供された血液の97.5%が売血由来となり、これが輸血後発病率50%という驚異的な肝炎の蔓延をもたらしたのです。勿論これは典型的な医療災害であり広義の薬害です。 <*帝国データバンク史料館 昭和39年の物価などより>  ライシャワー事件を契機として東邦大学医学部生12人が売血の実態を潜入取材した素晴らしルポルタージュがあります。本稿は、このルポルタージュを多く参考にしています。是非ご一読ください。 ◆『売血 若き12人の医学生たちはなぜ闘ったのか』佐久友朗1995/12 近代文藝社  すでに絶版ですが、公立図書などに収蔵されています。また、著者の佐久友朗氏と近代文芸社の許諾によって全文がホームページに掲載*されていましたもののリンク切れです。<*全文掲載 売血 若き12人の医学生たちはなぜ闘ったのか 佐久友朗、近代文藝社リンク切れ/インターネットアーカイブ>  日本における血液事業の負の歴史を省み、繰り返される血液由来の大規模薬害(医療災害)を正視することが献血を巡る議論には必須ですし、その上で売血などと言う選択肢は、絶対にあり得ないというのが筆者の考えです。であるからこそ血液事業の倫理綱領からの逸脱は、あってはならないのです。
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「記念品が過剰」論は本質を外れている
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