京急踏切事故現場。遺されたタイヤ跡が事故の凄惨さを物語る
筆者が現場を歩くのは、これで6度目になる。
踏切で立ち往生したトラックが京浜急行線下りの快特電車と衝突し、67歳のドライバーが死亡した、いわゆる「
京急踏切事故」の現場だ。
あれから1か月余り。電車の中からスマホで踏切を撮影しようとする乗客が時折目に入るものの、当初そこかしこにいた取材記者もすでに姿を消し、現場はまるで何事もなかったかのように、平穏な状態に戻りつつある。ベニヤ板の仮壁とタイヤ痕、茶色く枯れ果てたいくつもの献花を残して。
この事故に関しては、既に各媒体で見解を述べている。ハーバービジネスオンラインにも、事故の数日後に考察記事(
京急脱線事故のトラックは、なぜ小道に迷い込んだのか。ドライバー視点で考察する)を寄稿済みだ。
が、筆者はその後もこの事故をなかなか消化しきれず、現場に赴いては、事故を起こしたドライバーの軌跡や心理を探る日々が続いている。
本件にここまで入れ込むのは、これが「立ち往生したトラックが電車と衝突した」だけの事故ではなく
、「ドライバーの高齢化」「過酷な労働環境」といった運送業界の現状と、
「踏切の存在」「標識の立て方」などの道路が抱える課題が複合的に絡んだ、
「社会が起こした事故」だと痛感するからだ。
そして何より、自分自身も極度の方向音痴で、彼と同じように大きなトラックで見知らぬ土地にさ迷い、幾度となく立ち往生しては、言葉にできぬ強いプレッシャーを感じてきたからだろう。
十数秒おきに鳴る現場の踏切。地面に残るタイヤ痕やえぐられた傷の上に立つたびに、「怖かっただろうな」という思いに襲われ、胸が締め付けられるのだ。
近年稀に見る大きな踏切事故。乗客側に死者が出なかったことは唯一の救いだが、一方、「ドライバーの死は免れなかったのか」という視点から振り返ると、いくつもの回避ポイントがあるように思えてならない。
今回は、現場を走って思う同事故における「たられば」から、今後検討すべき対策を見出していきたい。