「汚染水を飲んだ」政治家に、「飲ませた」と言われたジャーナリストが見た「今も変わらぬ政府・東電の姿勢」

「汚染水を飲んだ」ことよりも、その「過程」に汚染水問題の本質がある

園田康博政務官

「汚染水」を飲んだ直後の園田康博政務官(当時)

 福島第一原子力発電所で発生し続ける放射能汚染水。環境相が、トリチウムを含んだ汚染水を「海に放出するしかない」と言ったことで、2011年10月31日に当時の園田康博内閣府大臣政務官がトリチウム入り汚染水を飲んだことが再び話題になっている。それは原発事故の234日後のことだった。(参照:内閣府政務官、低濃度汚染水の浄化水ゴクリ フリー記者の質問に応え|2011/10/31日経新聞)  当時の報道を見てみよう。2011年11月2日付の『東京新聞』朝刊は「園田政務官 汚染水を“飲用”」「記者挑発にパフォーマンス」という見出しで、以下のように報道している。 〈政治家は飲食することで「安全」をアピールしたがる。内閣府の園田康博政務官は先月三十一日の記者会見で、東電福島第一原発にたまる低濃度の放射能汚染水を飲んでみせた〉 〈フリージャーナリストの寺沢有氏が同月十三日の会見で「東電が飲んでも大丈夫と言っているのだから、飲んでみませんか」と発言。園田氏は「要望があれば飲む」と請け負った〉  筆者の発言がもとで、園田氏が汚染水を飲んだのは間違いない。しかし、それは「売り言葉に買い言葉」という単純な話ではなかった。背景に情報公開をめぐるフリージャーナリストたちと政府・東電との攻防があったからだ。  その攻防を本記事でふり返るのには意味がある。現在、汚染水の海洋放出の安全性が議論されていて、しばしば園田氏のパフォーマンスが引き合いに出される。しかし、「汚染水を飲んだ(飲ませた)」という結果のみが論じられて、そこに至る過程は論じられない。実は、その「過程」のほうが汚染水問題の本質をよく表している

「口に入れても大丈夫」は東電幹部の発言

「汚染水」が入っていたボトル

「汚染水」が入っていたボトルは、筆者が園田康博政務官から譲り受けて、現在も保管している

 2011年10月7日、東電は福島第一原発にたまっている「低濃度」とされる汚染水を敷地内の山林へ散水し始めたと発表した。  10月10日、フリージャーナリストの田中昭氏が東電の記者会見で、「我々、報道機関は福島第一原発の現地取材を拒否されている。本当に『低濃度』か確かめようがない」と追及した。すると、東電幹部は「(汚染水は)口に入れても大丈夫」と発言。これに対して、田中氏は「それならば、実際にコップに入れて飲んでもらいたい」と迫った。しかし、東電幹部は「飲料水ではないので……」と渋った。  当時、政府・東電の共同記者会見が開かれていたが、田中氏は「実績がない」という理由で参加を拒否されていた。そこで、筆者が10月13日の共同記者会見で園田氏に質問した。 「O157の感染源とされた、かいわれ大根を当時の菅直人厚生大臣が食べたり、福島第一原発事故後も、枝野幸男官房長官が(福島県)いわき市産のイチゴやトマトを食べたりして安全性をアピールした。園田政務官は『低濃度』とされる汚染水をコップに入れて飲むつもりはあるか」  園田氏は、一瞬、困惑の表情を見せたあと、開き直るような感じで、「パフォーマンスということではなく、しっかり飲水させていただく」と答えた。 「えっ、飲むの!?」  筆者も含めて、記者会見場から驚きの声が漏れた。
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追及がなければ隠す東電の体質
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