―― 安田さんは新著『愛国という名の亡国』(河出書房新社)で、排他的な空気や排外主義を批判した昔の政治家や保守派を取り上げています。これに対して、最近はむしろ政治家や保守派が排外主義をあおっています。
安田浩一氏の新刊『愛国という名の亡国』(河出書房新社)
安田:その文脈で言うと、私は「昔の保守派は排外主義を批判していた」、「本当の保守派は排外主義を批判するはずだ」と考えるべきかどうか逡巡しています。かつて保守と呼ばれた人たちは、現在も高齢ながら健在です。しかし、彼らが現在の排外主義的な流れに抗っているかと言うと、決してそうではありません。排外主義を批判する保守派は、昔もいまも少数派なのではないでしょうか。
たとえば、私はこの本で野中広務さんを取り上げましたが、野中さんは保守という枠組みの中で排外主義に抵抗した人だったと思います。野中さんの言葉が目立つのは、彼のような意見が少数派だからです。そういう意味では、直ちに結論は出せませんが、「保守とは何か」ということを改めて考えざるをえない時期に来ている気がします。
―― 現在の日韓関係は戦後最悪とまで言われています。どうすれば日韓関係を立て直すことができると思いますか。
安田:最初の話に戻りますが、
日本社会に住んでいる人間が日本を変えていくしかありません。日韓関係で言えば、韓国に対するレイシズムと戦う必要があります。
私が差別を批判するのは、強靭な理念や確固たる思想があるからではありません。
差別の向こう側に戦争と殺戮が見えるからです。日本にはいまこの瞬間も、いつか来るかもしれない「水晶の夜」(ナチスによって行われたユダヤ人迫害事件)を想像して生きている人たちがいます。
人が死の恐怖を抱えて生きなければならない社会は絶対におかしいと思います。
これは生活保護の問題にも言えることです。日本の一部では、生活保護を利用すること自体が不正であるかのように言われています。確かに生活保護を不正に利用している人たちはいますが、それは金額ベースで見ても全体の1%足らずです。それにもかかわらずこの制度を批判し、
貧困層を置いてけぼりにしようとすることは、レイシズムと地続きの問題です。だからこそ私は『愛国という名の亡国』でもこの問題を取り上げたのです。
私たちはしばしば「息苦しい社会になった」と言うことがあります。私自身もこの言葉を使ったことがあります。しかし、エアコンの効いた部屋で椅子に座りながら「息苦しい社会になったぜ」とつぶやくことほど醜悪なことはありません。
私たちは
自分の置かれたそれぞれの立場でレイシズムと戦っていくべきです。評論すべき立場にあるならばしっかりと評論し、研究すべき立場にあるのであればしっかりと研究する。まずはこうした正攻法のやり方で社会を変えていく必要があると思います。
(聞き手・構成 中村友哉)