以上の3件以外にも、私の取材をめぐって事件化していない事例が2つある。
1つは、昨年、麻原彰晃を始めとするオウム真理教事件の死刑囚の死刑が執行される直前に結成された、森達也氏らによる
「オウム事件真相究明の会」のへ取材だ。同会は、麻原の裁判が世論によって歪められ途中で終わってしまったのだというデマ(実際は麻原弁護団が控訴趣意書を締め切りまでに提出しなかったために裁判が終結した)を吹聴して、麻原の刑執行の一時停止などを主張していた。しかし直後に刑が執行されたため、同会の初めての集会が解散集会となった。
結成当初から同会を批判していた私は、この解散集会を取材しようと事前に申し入れを行った。すると取材は許可されたが、私だけが動画の撮影とネット中継を禁じられた。ほかのメディアには許可されていた。
メディア差別に従う必要を感じなかったので、私は会場で動画撮影と中継を行ったが、会側からカメラを遮るなど実力行使の取材妨害を受け、退去を要求された。「不法侵入だ」「警察を呼ぶ」とも言われた。
実際には警察は来なかったし、後日、警察から連絡が来ることもなく、事件化はしていない。
一般公開でメディアの取材も入れている、オウム事件という社会的に重要なテーマを扱う集会において、特定のジャーナリストにだけ不当な取材制限を課し、従わないと「不法侵入だ」と主張する。
「オウム事件真相究明の会」がやったことは幸福の科学と同じだ。
もう1件は、オウム真理教の後継団体のひとつ
「ひかりの輪」(いわゆる上祐派)の本部施設への取材をめぐるものだった。
ひかりの輪の本部がある世田谷区・烏山では、年に2回、団体の解散を求める地域住民にのデモが行われている。ひかりの輪本部前で住民側が抗議文を読み上げるが、ひかりの輪側は受け取りに出ては来ない。
昨年5月、このデモを私が取材した際も同様だった。私はひかりの輪関係者が不在なのか、いるのに出てこないのかを確認するため、デモの数時間後にひかりの輪本部を訪ねた。
本部が入るマンションには、ひかりの輪と無関係の一般住民も入居している。共同の玄関から入り、共同ポストを確認すると、デモ隊が投函した抗議文はポストに残されたままだった。しかし教団幹部が住む部屋のインターフォンを鳴らすと、教団幹部が出てきた。
不在だったのではなく、部屋にはいたが抗議文の受け取りに出てこなかったというわけだ。
後日、この取材に関してひかりの輪側から抗議を受けた。地元警察に対しても申し入れを行ったという。抗議の理由はほかにもあったが、マンションへの立ち入り自体については、私は「取材目的での立ち入りだから問題ない」として抗議を受け入れなかった。警察側も同じ理由で、ひかりの輪の申し入れを相手にしなかったようだ。
するとひかりの輪は、マンションの一般住民の管理組合に働きかけ、共同玄関のドア付近に「報道目的での無断入館厳禁」という張り紙を掲出させた。ご丁寧にその写真まで送りつけてきた。今後は報道目的で立ち入っても「意思に反した立ち入り」ということになり、建造物侵入罪の要件を満たしてしまうぞ、という牽制のメッセージだ。
ひかりの輪本部マンションの張り紙(提供:ひかりの輪)
「オウム事件真相究明の会」にしろ「ひかりの輪」にしろ、その主張は正当な取材をやめさせる利己目的にすぎない。それでも建造物侵入罪が「意思に反して立ち入ること」という形式論だけで成立する限り、テロ集団として団体規制法に基づく観察処分の対象となっている団体について当たり前の取材をするだけで、取材する側が犯罪者にされてしまう。
事件化していないケースを含めると私自身、ここ1年半ほどの間に計5件もこうした場面に出くわしているのだ。
「カルト」や「カルトに利する者たち」が「建造物侵入罪」という刑法の規定を活用し、実際に事件化させることはできなくても、それをほのめかして取材者を萎縮させようとする。裁判で報道の自由や取材の正当性を争ってもなおそれがまかり通るということになれば、今後いっそう、こうした傾向は強まるだろう。
言うまでもなく、カルトに限ったことではない。
都合の悪いことを取材されたくないと考える者であれば誰でもやる。
幸福の科学施設の一件で立件された際、私は
「これがまかり通るなら、たとえば自民党が朝日新聞の記事が気に食わないから記者会見に立入禁止だとして、立ち入った瞬間に朝日の記者を犯罪者に仕立てるということも成り立ってしまう」と警鐘を鳴らしてきた。冒頭で示した菅原一秀議員の件は、まさにこの危惧が現実のものになった事例と言える。
菅原議員の事務所の場合、そもそも「立入禁止」といったたぐいの
事前通告もなく、「意思に反した立ち入り」という建造物侵入罪の形式的要件すら満たしていない。これを敢えて刑事告訴するのは刑事訴訟の制度を意図的に濫用するものと言わざるを得ない。
明らかにSLAPP(恫喝訴訟)の刑事訴訟版だ。
自らに都合の悪い取材を回避するために、犯罪の要件を満たしていない行為について刑事告訴する。幸福の科学以上の悪質な行為を、国会議員という公人がやってのけている。
日本における「報道の自由」は、大手メディアの報道のあり方や記者クラブ制度の弊害、記者会見のあり方、政権に対する忖度や政権サイドからの圧力や威嚇など、さまざまな側面で問題が見られる。もちろんそれらも重大な問題だ。
しかし、たとえば官邸記者会見で彼らの気に食わない質問をしたとしても、それだけで犯罪者に仕立て上げられることは、いまのところまだない。それが起こっているのが、こうした
取材現場での「建造物侵入」をめぐる問題だ。
もちろん、言うまでもなく「報道」を名乗れば何をしてもいいなどということはありえない。建造物侵入罪として罰すべき悪質な取材というものもあるだろう。だからこそ「線引き」が必要だ。
少なくとも
取材・報道の自由や国民の知る権利という側面を度外視した形式論だけで取材者を犯罪者に仕立て上げることができてしまう現状は、報道の自由や国民の知る権利にとっての脅威だ。それがいま、机上論ではなく現実の事例として立て続けに発生している。
<取材・文/藤倉善郎>