死者が出た場所で弔いの折り鶴を折る女子高生
6月16日、200万人デモからの座り込みというアイディアで香港市民は立法会を取り返した。
翌日は占拠の範囲を立法会の敷地に絞ることで、交通を阻害することなくスマートに意思表示を続けた。
そしてこの日、2014の雨傘運動のリーダー、当時17歳で逮捕されたジョシュア・ウォンが釈放された。偶然とは言え、抗議者たちをさらに勇気づけることとなった。香港行政府からすれば最悪のタイミングだっただろう。
初めての死者が出た場所には、香港市民たちが途切れることなく訪れ、膨大な量の花束やメッセージを供え、弔った。
制服の少女たちが壁で折り鶴を折る姿に胸を打たれた。
現場を訪れる周庭(アグネス・チョウ)さん
落ちた男性の後ろからけとばす警察官を描いたイラスト。自殺ではないというメッセージが現場にはあった
さらには抗議者たちは昼間に突発的なデモを展開、占拠の範囲を立法会から隣の長官官邸まで広げた。深夜になってもそのオキュパイは続いた。
隣は中国人民解放軍のビルだ。
まさにこの落書きの通り「dead line」ぎりぎりの夜が続いていた。
Dead Lineの文字が象徴的
日本だったらタピオカ屋に並んでそうな若者たちが人民解放軍寸前のところまで占拠していた。しかもその姿はどこか楽しげに見えた。
彼女たちに聞いてみた。
「まるでタピオカ屋にでも並ぶような軽さで、きみたちは座り込みしているように見える。日本ではタピ屋には並ぶがデモには来ない人がほとんどだ。きみたちは今、どんな気分でここに座っていますか?」
まだ10代だという女性は、逆に不思議そうに答えてくれた。
「ここに座り込むのもタピ屋に並ぶのも、同じように大事なこと、それを分けて考える必要がない」
こちらの価値観が歪んでいることに気付かされた瞬間だった。
香港の若者たちは「自由」とは戦って勝ち取るべきものだと知っている
市民が政治に参加すること税金の使い方に口を出すこと、そんな当たり前のことが日本にいると共有されていないし、僕自体もそんな非民主主義的な偏見に毒されていたのかもしれない。
タピ屋に並ぶ若者も、香港で人民解放軍の横に座る若者も、実は大して変わりはしない。違うのは、やはり大人たちだろう。
若者たちに本当のことを伝えず、まやかしの屁理屈で搾取し続けるこの構造だ。
日本の教育、メディア、社会の中にはあらかじめ、見えない催涙弾が仕込まれているように感じた。あらかじめ立ち上がれなくされた日本の人々、立ち上がって催涙弾を浴びる香港の人々。その実、希望があるのはどちらなのだろうか?
そんなことを考えながら、僕は香港を後にした。