狗官(犬官僚)と書かれた立法会入り口
帰国後、香港はまた新たな局面を迎えていた。7月1日の香港返還22周年デモの日、一部の先鋭化した若者たちが立法会に突入し、議会内に落書きするなど数時間占拠した後、警察隊の突入勧告を受け撤退した。
これが暴徒とされ、多数の逮捕者を出し、国際的にも法案撤回運動はイメージを下げる結果となった。
僕は再び、香港に飛んだ。香港市民たちにその実情を聞いてみたかったからだ。
多くの人々に話を聞き、立体的になったのは、「どうやら、あの突入は香港警察の罠だったのではないか?」という見立てだ。
香港警察はわざと、一度引いて、抗議者たちを立法会へ突入させ、逮捕の口実を作ったように思う。
12日の時点で11人だった逮捕者は、すでに60人以上、となっていた。14歳の中学生まで逮捕された。
これによって抗議者たちによる逮捕者釈放要求は矛先を失ったのだ。議会のガラスを割って突入したものたちを不当逮捕と呼ぶのはさすがに無理があるからだ。香港警察にオウンゴールを誘われ、市民はまんまとハマってしまったのだ。
塗りつぶされた監視カメラ
落書きされた立法会内部
この件については抗議者の中でも賛否両輪あった。
「議会突入したものたちは若すぎた。判断能力がなかった」と22歳の学生は言った。28歳の社会人は「それほどの怒りがあるから正しいことだった」と言った。
しかし、皆口を揃えて「ただ、彼らを悪く言うことはできない」と擁護するのが印象的だった。
割り切れない混沌が香港を包んでいた。最初のひとり(僕自体は自殺ではないと認識)から数えすでに5人の自殺者が出ていた。
香港警察が市民の分断。民意の分断を狙っているのは明らかだった。一部の思いつめた若者たちがその手に乗ってしまっているように感じられた。
しかし、思いつめるのも無理もない状況があった。15歳の少年が語ってくれた。
「1997年、香港返還以前に生まれた者にはイギリスのパスポートがあるが、
それ以降に生まれた者たちにはイギリスのパスポートがない。僕らには希望がない」
22歳、この年齢がひとつの重要な分岐点になっていることがわかってきた。
そして「
2047」という数字が彼らに重くのしかかる。
香港は1997年の返還から50年後の2047年に一国二制度が終わることが決まっている。
28年後の「2047」この数字にリアリティを持つ世代かどうかも、今の香港に分断を生んでいるのだ。
今の香港市民、とくに若い世代に、この「2047」と言う数字をどうにか押し返したいという思惑があるのもこの一連のデモの隠された背景なのだ。
このあたりの部分になぜ日本のメディアは言及しないのだろうか?と不思議に思いながら、ぐちゃぐちゃに窓ガラスの割れた立法会を眺めた。
すでに抗議者たちの姿は、もうそこにはまったくなかった。
中も荒らされていた立法会
窓ガラスの割れた立法会
撤回運動は衰退したのか? 一抹の不安を覚えながら7月7日の九龍デモに向かった。なぜ香港島ではなく九龍なのだろうという疑問もあった。