妻を虐待しまくるモラ夫は精神疾患ではなく、むしろ”正常”という闇<モラ夫バスターな日々14>
「なぜ出て行ったのか、全く腑に落ちません」
離婚調停で、40代の男性が言った。
妻によると、夫は、毎日、「バカ」「お前は病気だ」と妻を罵ったという。罵られ続けて、妻は、うつ状態になり、役所に相談、就学前の幼児2名とともに公的シェルターに保護された。にもかかわらず、夫は、「多少厳しい言葉で叱ることはあったが、夫婦仲はよかった」「勝手に出て行ったことは水に流すから帰って来い」と述べた。
幼児2名とともに着の身着のまま、殆ど所持金なしでシェルターに逃げ込んでも、「勝手に出て行った」と認識する。
毎日罵ったことを「多少、厳しい言葉で叱ったことはある」と振り返る。そして、「勝手に出て行ったことは水に流す」とあくまで上から目線で、反省の態度は全くみられない。このような認知の歪みは、この男性に限ったことではない。私は、離婚弁護士として、日々、このような日本の男性たちをみている。
なぜ、このように認知が歪むのか。それは、自らの言動は社会的に許されているものと考えているからに他ならない。
前回紹介したとおり、日本社会は、モラ文化を支える戸籍制度、夫婦同姓強制主義を温存し、その結果、明治民法下の社会的文化的規範群(モラ文化)を今日に引き継いでしまった。
家庭においても、支配者である父、その従属者である母が、家庭におけるモラ文化を実践している。日本の男性たちは、社会や家庭でモラ文化を吸収し、これを行動規範、評価規範として、内面化し人格の基礎としてゆくのである。
そして、内面化した規範は、無意識のうちに、その者の行動を支配する。
因みに、モラ文化がモラ夫を育て許容するとしても、個々の男性は免責されない。同じモラ文化の下に育っても、モラ夫にならない健全男子もいる。モラ夫になるのは、個々人の選択の結果でもある。
学校で「男女平等」を習っても、モラ文化が根強い日本で育てば、その「男女平等」とは、モラ文化により修正された平等として内面化する。
例えば、30代、40代では、生活費の分担を折半にする夫婦が増えている。夫と妻に収入格差があっても、折半にするのである。その結果、夫は、男女の収入格差を謳歌し、妻は、経済的に抑圧されることになる。しかも、生活費折半でも、家事は、妻に押し付ける事例が殆どである。
ところで、20代、30代の意識調査(2016年)によると、夫婦間の家事分担につき、未婚男性の51.5%は平等にするべき、37.0%は妻が多く負担するべきと回答している。(参照;内閣府「結婚・家族形成に関する意識調査報告書」)
少なくとも、若い男性の半数は、建前としては、家事分担を平等にするべきだと回答しているので、僅かながらの希望もある。しかし、この平等意識は、あくまで建前である。
現実には、共働きの夫婦であっても、夫が家事を行う割合は、2016年で23.3%に過ぎない。しかも、夫の家事従事時間数は、妻の約6分の1程度であり、実際の家事分担はおよそ平等からは程遠い。(参照:男性の家事、育児関与時間に関する内閣府男女参加局の報告)
つまり、家事分担の平等は、単なる建前であり、依然として、性別役割分担(妻への家事の押付け)が男性たちの本音なのである。
モラ夫になるか否かは、個人の選択である
生活費は折半させるのに家事はしないアラサー世代のモラ夫
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この連載の前回記事
2019.05.26
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