イナンさんはそれまで収容されていた東京入管(写真)から、さらに遠い東日本入国管理センター(茨城県牛久市)へと移送された
しかしそんな願いもむなしく、イナンさんは2018年3月、さらに遠い東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に移送されてしまう。本人と家族の、ショックとダメージはかなり大きかった。
家族が暮らしているのは埼玉県川口市。牛久の入管に行くためには、時間もお金もかかる。そうそう行けるものではない。JR常磐線牛久駅、もしくはひたち野うしく駅から、さらに長い時間バスに揺られなければならない。次男はそれに我慢ができず、バスに酔って吐いてしまったこともある。
3人の子供たちを連れて遠い入管収容所に通うというのは、簡単なことではない。妻は日々ストレスをため、時には髪をかきむしることもあった。
ある日、子供がアパートのガラスを割ってしまった。直すお金もないのでテープを張ってしのいでいた。冬はすきま風が入って寒かったという。
ガラス越しではなく触れ合えた、わずか30分の家族面会
それでも、1つだけ良いことがあった。東京入管の収容所では厳しくて叶えられなかった、ガラス越しではない家族面会が牛久入管では許されたのだ。
30分という短い時間ではあったものの、子供だけはイナンさんと触れ合えることができた。しかし時間が来て、小さな三男が「パパ、ばいばい」と言うと、イナンさんは泣いてしまったという。
イナンさんの家族は牛久入管の総務課にも出向き、やはり母の代わりに長男か父親の解放を職員に訴えたこともあった。ここでも、職員はただ笑顔で対応したつもりだったのだろう。しかし、それが余計に子供たちを傷つけた。
「なんで笑うの? 笑わないでよ……パパを返してよ……」
長男は力なくつぶやいた。
当時小学2年生だった長男は、現在4年生になった。
「学校は楽しい。だけどパパのことを聞かれると、どうしたらいいかわからなくなる。ウソをつくのが辛い、早く帰ってきてほしい。パパとサッカーがしたい。いつも僕がやりたいことを一緒にやってくれた。怒ったことのない、優しいパパだった」