声を上げると叩かれる、周囲から浮いてしまい孤独になってしまう。「個人」という価値観が尊重されてきた一方で、「団結」や「連帯」ということにネガティブなイメージが植え付けられてきた背景もある。
「集団圧力に従わなくちゃいけないということに対して、『私は私』、『個人として』、『生きる個人』として発言するっていうのは私にとっても馴染みがあることです。リベラルってやっぱり『個人』の尊重っていう考えがあるんで。だから、私も含めて『団結する』っていうとあまりイメージがわかないんですよね。だから、例えば『日本社会で生きづらい』とか、『会社がブラック企業で』とかいうときに、『アメリカ行けばいい』とか『起業すればいい』『辞めればいい』とか、そういう『個人の対処法』だけが表にでてきがちですよね。
その背景には、個人が数の力をつけて権力の側に対して正当性を主張するというやり方が政策的に抑え込まれてきたというのがあるんです。
働き方改革関連法案によって高度プロフェッショナル制度を導入しようというときも、『選択肢』とか『希望する人が』とか『自律的に』みたいな美辞麗句で粉飾されて、その一方でそれに抗う声については『あいつらは団結して既得権益守っている』みたいな印象操作がなされてきた。でも、そうやって『あいつらは~』って批判するのって結局経営者の視点なんですよね。そういう視点で『公務員ズルしているよね』とか批判するのは、結局、経営者ではない自分たちの条件を崩していくことになるんですね」
「強い個人が声をあげるだけではなく、それだけでなくやっぱり声を上げる人を支える人もいるんだっていうのがすごく重要なんです。私も人脈がなかったら、関係性がなかったら一人で声とか上げられないですよ。
だからやっぱり『支え合う』ってことは大切なんだと思います。そして支え合うとか連帯するとか言っても、必ずしも一緒に先頭に立って戦う必要はないわけで。例えばおにぎりや柿の種をくれる人がいたり、SNSのハッシュタグでつながるくらいでもいいわけで。
その意味では、私はこの本はTwitterから生まれた本だと思ってて。Twitterでなにか書くと反応があるとかいうことって、やっぱり力になるんですよね。そういう肯定的なフィードバックがあって、それが力になってまたもう一歩進めるみたいな。
自分がそれを貰った側からすると、そういうのを積極的に人にフィードバックしていくということが、その人の力になるってわかったら行動できるようになるじゃないですか。
それがわかんないと、頑張ってる人を見ても『すごいな、私はそんなふうになれない』って遠ざけてみるようになっちゃう。さらに、声を上げた人がバッシングに遭ってるのとかをみると、”バッシングの酷さと、それと戦う人”みたいなところに焦点があてられちゃう。でも、声を上げる人の横に、それを支える人がいるってことをちゃんと見えるようにすることも大事だと思うんですよね」