ワイドショーである「3時にあいましょう」(TBS内の社会情報局が担当)のオウムに対する対応に関連して、同社の報道局(ニュース担当)もからんでのオウムとの「取引」があったのではないかとの疑惑もあった。
麻原はボンでの会見直前にTBS報道局の単独インタビューに応じている。坂本事件発生後初の単独取材だ。これについて早川は、坂本弁護士インタビューの放送を中止してくれた「お返し」として「スクープさせてあげた」と供述している。
単独インタビューの交渉にあたった当時の報道局・西野哲史記者は検証番組の中で、坂本弁護士インタビューの放送中止への関与や、単独インタビューが「見返り」だったことを全否定。
西野記者は「3時にあいましょう」や社会情報局とは別途、独自にオウムへの取材を試み、取材交渉などのやりとりをしていた。しかし「早川メモ」には、こんな記述もあったとされる。
「西野さんのルート 五分五分だと思った
やめたことはTBSの判断
録画を見せたことは公言しない
紳士的である」
坂本弁護士インタビューを放送しないようオウム側から依頼があったかどうかについて、西野記者は検証番組内で「記憶にない。仮にあったとしても、自分から『3時にあいましょう』に対して放送中止を求めることは口が裂けても言えない」という趣旨の発言をしている。
オウム側が、社会情報局と報道局といったTBS内の組織を理解しておらず混同していた可能性も、もちろんある。「3時にあいましょう」の対応を報道局の西野記者による「配慮」だと勘違いした可能性だ。しかし仮にそうだとしても、「3時にあいましょう」が放送を中止したことで、オウムに「マスコミは単独取材などを条件にしたバーターで操ることができる」という成功体験を与えた可能性は否定できない。
ボンでの記者会見前日、曜日担プロデューサーが担当ディレクターに「千代田(分室)にオウムが来た。坂本さんのテープを使わないことで話をつけた。オウムとは今後とも上手くやりたいので、質問はお手柔らかに頼む」と言ったという。これが事実なら、TBS側もオウムとの関係を意識して忖度しており、オウムとの間で少なくとも「暗黙のバーター」が成立していたことは間違いなさそうだ。
いずれにせよ、放送中止に報道局が関与したかどうか、その見返りについての約束や実行があったのかどうか、検証番組ははっきりした結論には至っていない。
前述のように、「3時にあいましょう」の番組・曜日担当の両プロデューサーがビデオを見せたことについて「ない」「覚えていない」と言い張っているのだから、バーターの有無や内容についても語るわけがない。
TBSビデオ問題が事件の決定的な原因となったかどうかについては、断言はできない。しかしオウムにビデオを見せない、あるいは見せたことを坂本弁護士に伝え、放送もするということをしていれば、坂本弁護士がいつも以上に身辺に気を遣うなどして事件を防ぐことができた可能性はある。
というのも、坂本事件では犯行当日、たまたま坂本弁護士の自宅の鍵がかかっていなかったとされている。ゆえに実行犯らは物音を立てずに侵入し、坂本弁護士に抵抗の余地をほとんど与えずに実行できた。「いつも以上に身辺に気を遣う」だけで結果が大きく変わった可能性が指摘されるのは、このためだ。
あるいはTBSが、事件発生後に一瞬だけ使ってお蔵入りにしてしまうなどということをせず、疑惑追求の参考情報として活用できるものとして世に示していたら。坂本弁護士一家殺害事件を防ぐことはできずとも、早期に解明され、オウムによる以降の事件は起こらなかったかもしれない。
「たら・れば」ばかりだが、そう考えたくなってしまうほど、多くの人々にとって悔しさが残る「事件」だ。
なぜ、TBSはビデオを見せたことについて警察に通報するなどしなかったのか。その点について、検証番組内で、サンデー毎日の元編集長・牧太郎氏は、こう語っている。
「ケースバイケースなので断言はできませんが、ぼくは全て報道することによって、読者に知らしめることによって、全ての仕事がやり遂げ(られ)ると思っているんです」
メディアにとっての「通報」とは報じることである。報道をせずに警察等にだけ取材内容を伝えるとしたら、それはそれで、権力から独立した存在であるはずの報道が警察の下請けに成り下がってしまう。警察に直接伝えようが伝えまいが、報道することが報道の原点だ。
報道とは、直接には記事や放送として世に出たものを言う。しかし報道がどうあるべきか考えるとき、何についてなぜ報道しないのか(報道しないことが正しいのか)も考える必要がある。取材対象との関係の作り方等、記事や放送の内容だけからは必ずしも見えない部分もある。自社の問題が指摘されている場面において自社の報道媒体を「社告」として使うのか、その場面においてもなお報道の挟持を維持できるのか、という問題もある。TBSの対応姿勢に異を唱える社内の意見が活かされない組織の問題や、会社幹部らの判断能力の欠如といった問題もあるだろう。
報道、特にテレビや新聞のような組織ジャーナリズムのあるべき姿は、こうした様々な側面を考えなければ探求することができない。
その全て詰まっているのが、「TBSビデオ問題」だ。その点で、報道に関する教科書と言ってもいいかもしれない。TBSの謝罪・検証番組は、十分な検証がなされたとは言い難いものの、通常であれば知ることができない報道の舞台裏を知ることができる。検察とのやり取りをめぐる部分には、国家権力に対する報道サイドの論理や感覚もよく表れている(決してそれ自体が全て否定されるべきものとは限らない)。
検証番組の内容はもとより、当時おそらく相当な絶望感や屈辱の中でこの番組を作ったのであろうTBS関係者たちの努力そのものも、報道のあり方に対する問いかけなのではないか。
TBSをいい悪いと言うための道具としてこの問題を蒸し返すのではなく、大きな教訓を含んだ貴重な歴史資料として、この検証番組をぜひ多くの人に見てもらいたい。前回の記事で触れた茨城大・村上信夫ゼミの学生たちにも、だ。
著作権との関係から言えば問題がありそうなので大きな声では言えないが、いまもYouTube上で見ることができる。報道の勝利を描いた『ペンタゴン・ペーパーズ』の逆バージョンで、「報道の自滅的敗北の歴史」として映画化でもしてもらえれば、多くの人に勧められるのだが。
<取材・文・写真/藤倉善郎(
やや日刊カルト新聞総裁)・Twitter ID:
@daily_cult3>
ふじくらよしろう●1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。著書に『
「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)