「子育て=ママの役割」の決めつけは、街中で強く感じた。ある時、ベビーカーを押してスーパーへ買い物に出かけた時、周りのお客さんから「ママはいないの?」「パパがひとりで赤ちゃんのお世話をして偉いね」などと、しばしば声をかけられた。
また、小児科で予防接種の案内を受けたとき、スタッフから「家に帰ったら、予防接種案内のチラシをママに見せて注射を打ちに来てください」と言われたこともあった。それらの発言をした人たちに悪意がないのはわかっている。だが、釈然としない気持ちだった。
筆者は息子の父親であり、妻と同じように子育ての当事者だ。しかし、筆者が息子と一緒に過ごしていると、なんだか物珍しい光景を見ているかのような視線を向けられることも少なくない。そんな社会に疑問を感じた。たとえば、妻がスーパーや小児科に息子を連れて行った場合、「ママひとりで偉いね」「チラシをパパに見せて、パパと注射に来て」などと言われるだろうか。
保育園の送り迎えを積極的にしたり、病院に連れて行ったりするパパはたくさんいる。しかし、まだまだ「男性=子育て」の認知は弱い。「男性は仕事をするもの、女性は子育てをするもの」との根強い決めつけが、「子育ては奥さんがすればいい」発言につながるのだろう。
ひとつの命を育てるわけだから、子育てには相当なプレッシャーがかかる。自分の判断ミスや行動の遅れが命に関わる可能性もあり、神経は常に張り詰める。それでも社会的には、「お母さんだから頑張らないといけない」と思われ、母親は追い詰められた末に自殺をしたり、虐待に及んだりしてしまうことがある。それらは許されない行為だが、子育ての負担を一身に背負うと精神的に参ってしまうことは責められない。
母親の負担を軽くするには、夫である男性の力が必要だ。子育てを夫婦の一大プロジェクトととらえ、ともに臨むのがあるべき姿だと、筆者は自分の体験から感じている。
とはいえ、核家族では人手が足りないし、家庭の事情によっては夫が子育てに多く関われないこともある。
その場合は、行政が提供し比較的安価で利用できる見守りサービスのほか、民間のベビーシッター、家事代行サービスのような第三者を頼るのは有効だ。家計の負担にならない範囲で利用し、筆者もかなり助けられた。親が意図的に子どもから離れる時間を設けることで、心身の休息と安定を図れるメリットは大きい。
もちろん、家庭の事情や夫婦の考え方はさまざまなので、これをしないと絶対ダメ!という決まりはない。「夫には仕事をメインでして家計を支えてもらい、家事と育児は妻が担う」と夫婦が納得しているならば、それでよいのだ。
筆者が疑問だと思うのは、「子育ての負担を母親が背負って当然」という決めつけだ。「育児?奥さんがやればいいよね」なんて簡単に言わないでほしい。父親も子育ての当事者なのだから。
<文/薗部雄一>
1歳の男の子を持つパパライター。妻の産後うつをきっかけに働き方を見直し、子育てや働き方をテーマにした記事を多数書いている。